すすめコトノハの道

謎のライター akari のブログ

見える人

2017-05-15 12:23:06 | 日記

「見える人」「見えない人」などという言い方をしますと、 どうしても「霊的世界」に関する特殊な才能の有無を、 あらわしているような印象を受けますが、 本来人間というのは誰でも「見える才能」を持っており、 「霊」や「未来」を透視できるような人だけを特別視したり、 ありがたがったりする風潮は肯定すべきものではありません。 その証拠に、様々な分野において「先々を見通せる人」はたくさん存在し、 それらの方々の大部分が、普通に社会生活をしながら自らの仕事に励み、 あれこれと試行錯誤を繰り返す中で、「あるひらめき」を得ているのです。

逆に言えば、占い鑑定や霊的修行やスピリチュアル行動など、 一般的な社会生活以外の行為の中で「見たもの」の多くは、 「まちがっている」あるいは「何かが抜けている」のが通常で、 いくら当人や取り巻きの人たちにとっては現実の現象でも、 そのほとんどは「信じるに値しないモノ」なのでしょう。 私自身も過去に何人もの「見える人」と接してきましたが、 十数年たった今、それらの人たちの発言が意味を成したかと聞かれれば、 「?」と思わざるを得ず…。 結局「霊視」で見た内容というのは、その場しのぎのなぐさめか、 霊視された側ではなく「霊視した側」の妄想でしかないのですね。

現実を見ようとしない人間ほど、 占いや霊能やスピリチュアルを通じて見たものを真実だと思い込み、 本当に正しい示唆を与えてくれる「普通の人の助言」を軽視します。 様々な分野で努力されている人たちが「見ているもの」はスルーし、 自分にとって居心地のよい世界だけに閉じこもっていたいのです。 この先に起こるであろう「正しい現実」を知りたいのであれば、 まずは「自分自身の力で見ようとすること」が大切だと思います。 特殊な能力に頼るのではなく、これまでとは違う「別の視点」で 世の中の出来事を俯瞰し、新たな示唆を与えてくれる 「普通の人の助言」に耳を傾けることが必要なのかもしれません。

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« あきらめる潔さ | トップ | 様々な答え »