花乙女

akkoのイラストなど

カラスの子

2013年06月30日 18時39分41秒 | 日記
近所の老木にカラスの巣がある。
今年も子供が大きくなってきたようだ。

カラスの子は1羽を大事に育てるようだ。
七つの子の歌でどうして山には七つもいるのだろうか。
それに集団で子供を大事にするようだ。

カラスはかなり長生きだと思う。
羽にほんの少し白い部分のあるカラスが氷川神社にいて、
毎週休みの日に会いにいっていたが、
10年以上生きていたような気がする。

今日は図書館で、北条時頼より古い時代の歴史を調べた。
源実朝には子がなく、惨殺されてから政治が乱れてくる。

その後、後鳥羽院の承久の変があり、
同時に冷害による大飢饉。
鎌倉から室町時代は小氷河期ともいえる寒さだったらしい。

だから政府のお達しなど誰も守らないし、
農村は武装して自らを守ったらしい。

そういえば戦国時代の武士は
普段は農作業をしていて農閑期に戦争してたんだっけ。

歴史は繰り返すというから、
再び武装農民の時代が来るかもしれないよ。
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そういえば

2013年06月28日 23時11分42秒 | 日記
めざましテレビの大塚アナは
頸のリンパ節が腫れているんで
血液検査したら白血病が発見されたんだっけ。

頸のリンパ節腫脹は超危険だな。
心しておこう。
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いよいよかな

2013年06月28日 14時09分02秒 | 日記
歯科は口内炎か歯肉炎くらいであんまり関係ないと思ってた。

きょう、右側の首のリンパが10日前から腫れて
食べるときに圧迫感があるという人がいらした。

右の奥歯が20日前に腫れたからそのせいかと思っていらっしゃったそう。
最近原因不明の蕁麻疹がたびたび出るので
皮膚科で蕁麻疹の薬もらっているそうだ。

そうか、首のリンパが腫れた人が歯科に来ることもあるわけだ。
内科へ行ってくださるように申し上げたの。

甲状腺癌かなあ、悪性リンパ腫かなあ、肺癌かなあ、
なんて想像しちゃう。

いよいよ、いかにもそれらしい症状の人が
いらっしゃるようになったんだな。

10年後は日本の人口が5000万人という話もある。
10年後私は生きているだろうか。
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2013年06月27日 22時02分18秒 | 日記
第六十段に盛親僧都(じょうしんそうず)の話が出てくる。

優れた知者であるが変わり者で自由奔放、
世間のしきたりなど守らない。
それなのに人に嫌われず、なんでも許された。

兼好さんはこれを「徳の至れりけるにや」といっている。
徳が極地に達していたからだろうか、という意味。

この盛親僧都のことを引き合いにだして、
後醍醐天皇のことを言いたかったんじゃなかろうか。

後醍醐天皇も変わり者で過去のしきたりを重んじなかった。
それは徳の至れるところなのだと言いたいのだと思う。

古代中国の政治のように、
徳によって世の中を治めることを
考えていたのかもしれない。

だから後醍醐天皇の徳にかけた。

しかし幕府が滅亡して、建武の新政がはじまると
おそらく兼好さんはひどく失望したろうな。
政治は武力でしか実行できないことが明白になったから。

それでもう随筆を書く意欲は消えうせた。
私はそう考えるの。

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後れを取った

2013年06月27日 20時22分29秒 | 日記
第四十九段に

はからざるに病を受けて、忽ちにこの世を去らんとする時にこそ、始めて、過ぎぬる方の誤れる事は知らるなれ。誤りといふは、他の事にあらず、速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて、過ぎにし事の悔しきなり。その時悔ゆとも、かひあらんや。

というのがあるが、
「速やかにすべき事を緩くし、緩くすべき事を急ぎて」
ってどういうことかしらと思っていたの。

兼好さんは急いでやるべきは政治活動だったのに、
それをゆっくりにしておいて、
ゆっくりやってもいい和歌の道を急いでやってしまったのだな。

和歌の四天王と言われるようになっていたのだから、
有力者のバックも人脈もあったのよね。

後醍醐天皇は家格にかかわらず有能な人物を登用したという。
無礼講と称して側近と裸で酒を酌み交わしたという。

もっと早くから討幕活動に加わっていたら
ブレーンとして能力を発揮できたかもしれない。

つまり後れをとったわけだ。
第二百三十五段に

虚空よくものを容る。
われらが心に、念々のほしきまゝに来たり浮ぶも、
心といふものの無きにやあらん。
心にぬしあらましかば、胸のうちにそこばくのことは入りきたらざらまし。

とあるけど、
兼好さんの胸のうちにはどんな思いがやってきていたのだろう。

新しい政策、新しい政権、新しい世の中、
そういう構想が次々浮かんでいたのではなかろうか。

「惑いの上に酔えり。酔いの中に夢をなす」
理想の政治を夢見ていたんじゃなかろうか。
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めざすところ

2013年06月27日 15時57分22秒 | 日記
兼好さんは本当は政治をやりたかったんだと思う。

第百八十八段に法師が説教師になろうと思って
まず乗馬をならい、早歌を習っているうちに
年をとってしまい、説教を習うことができなかった話がある。

これは兼好さん自身のことだな。
学問を習い、和歌を習っているうちに
政治のことをやる前に年をとってしまった。

碁をやる人が10の石を捨てて11の石を取るのは難しいとも書いている。
10までとっていればそれをすべて捨てて
11をとりに行くのは勇気のいることだ。

そして、
「京に住む人、急ぎて東山に用ありて、
既に行き着きたりとも、
西山に行きてその益勝るべき事を思ひ得たらば、
門より帰りて西山へ行くべきなり。」
と続く。

兼好さんは歌人としてすでに目的地に行き着いている。
それなのに政治家を目指して別のところへ行きたいらしい。

こんな風に考えると徒然草がとてもよくわかるのだ。
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荒れた時代

2013年06月26日 17時29分59秒 | 日記
兼好さんが生きたのはすごい時代だったんだなあ。

鎌倉幕府内では権力争いの内紛、
京の都では持明院統と大覚寺等の争い、
地方は無法地帯となり城を造り武力で土地をかってに占拠。

天候異常が発生し、飢饉が蔓延。
フビライが攻めてくるっていうんで増税。

徒然草に資朝(すけとも)卿が出てくる。

爲兼大納言めしとられて、武士(ものゝふ)ども打ち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一條わたりにてこれを見て、「あな羨し。世にあらむおもひで、かくこそ有らまほしけれ」とぞいはれける。
    
定家三代の孫である藤原(京極)爲兼は幕府寄りの西園寺実兼の政敵だったところ、逮捕されて、武士達が取り囲んで、鎌倉幕府の六波羅探題(ろくはらたんだい)府へ連行されているのを日野資朝卿が、一條大路のあたりで見て、「ああ羨しい。この世に生きていた理想の思い出である」とおっしゃった。

資朝さんは変人で、
罪人になってまで注目を浴びたいのかと思ってたの。

そうじゃなくて、資朝さんは革命家だったんだな。
爲兼大納言は歌人であるが伏見天皇のブレーンだった。
伏見天皇をしょっ引くわけにはいかないから代わりにしょっ引かれたのね。

資朝さんは後醍醐天皇の側近になって倒幕を計画する。
だけどそれが漏れて捕まって流罪になるの。

爲兼大納言を見たとき自分もああなる覚悟を決めていたのね。
それほどまでに倒幕の熱意があふれていたんだな。
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つれづれ

2013年06月25日 14時30分03秒 | 日記
「つれづれなるままに」で始まる「つれづれ」は
閑職に追いやられた状態のことなんじゃないかな。
こんな慌しい時代にのほほんと「つれづれ」している訳がない。

宮廷の重要な仕事につかせてもらえない、
ないがしろにされるような立場を言っていると思うんだ。

「あやしうこそものぐるおしけれ」
は気が狂ったんじゃないかと思われるようなことを
これから書きますよ、ということをあらかじめ言っておく。

反社会的なことを書きますよ、ということ。
そこから「いでや、」と身分制度の話が始まる。

いざ、生まれてみたら身分が決まっていて
それって、おかしいんじゃない?

そして、最後の章段では仏について書いている。
仏って、ほんとにいるの?

本心はそういうことなんじゃないかな。
超危険な書だ。発禁ものだよ。
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批判

2013年06月24日 22時17分44秒 | 日記
第二百九段に「人の田を論ずる者」というのがある。

人の田を論ずる者訟に負けてねたさにその田を刈りてとれとて人をつかはしけるにまづ道すがらの田をさへ刈りもてゆくをこれは論じ給ふ所にあらずいかにかくはといひければ刈る者どもその所とても刈るべき理なけれども僻事せんとてまかる者なればいづくをか刈らざらんとぞいひける

人の田を巡って争う者が訴訟に負けて妬さに、その田を刈って取れと人を遣ったところ、まず道すがらの田までも刈って行くのでこれは論じられた所ではありませんどうしてこのようなと言えば、刈る者ども、その所であっても刈るべき道理はないが、無理を通しに罷る者なのだから、どこであろうと刈らぬことはないと言った

変な話だと思っていたが、実は永仁の徳政令というのがあったそうだ。
北条貞時が出した御家人救済の法律だ。

御家人が以前に売り渡した土地を無償で返還させるというもの。
これによって各地で暴力的な土地取戻しが行われた。

この段の理不尽さはこの徳政令の理不尽さに見合っている。
兼好さんの政府批判はこんな形でも書かれたんだな。

第百四十一段「悲田院尭蓮上人は」は
「悲田院尭蓮上人は、俗姓は三浦の某とかや、双なき武者なり。」
で始まる。

三浦氏は鎌倉の有力御家人でその勢力が強かったために
北条時頼によって滅ぼされてしまった。
ここで「三浦」の名を出すだけでもタブーだと思うよ。
兼好さんは相当の覚悟を決めていたのだろう。
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妄想

2013年06月24日 16時22分11秒 | 日記
中野孝治さんも上田三四二さんも
「吾が生すでに蹉蛇たり」のところが
お気に入りだとお書きになっていた。

日暮れ、塗遠し。吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。
信をも守らじ。礼儀をも思はじ。
この心をも得ざらん人は、物狂ひとも言へ、うつつなし、情なしとも思へ。
毀るとも苦しまじ。誉むとも聞き入れじ。

「蹉蛇たり」というのは
それ以上進めない、もう決まりがついた、ということらしい。

これは仏道修行にはげむ、という決心だといわれているが、
それにしては激しすぎる文章だ。
兼好さんは出家していても俗人である。
後世を願う本物の僧とは違う。

ここで私なりに妄想してみる。
これは倒幕に加担するという決心を言っているのではないか。
死を覚悟して書いた感じがする。

世の中は倒幕の雰囲気がひそかに進んでいた。
それは明治維新前夜と同じような感じじゃないかな。

兼好さんのお母さんは関東の人だという説がある。
だから関東に人脈を持っていた。

それなのに政治の腐敗を憂いて
鎌倉を批判するなんて物狂いもいいとこ。

第142段「心なしと見ゆる者も」のところで
政府を批判していると思われる文章がある。

こんなことを書いたら目をつけられるに決まっている。
それでもあえて書いたのは、
もうその時が迫っていることを知っていたからだな。

第108段「寸陰惜しむ人なし」のところで
唐突に謝霊運の話がでてくるが、
謝霊運は政治の野心を持っていた人だという。
この話も切羽詰った感じが出ている。
もう待ってられないという雰囲気がする。

兼好さんは田んぼを買っていったん隠遁したが
その田んぼを売ってまた都に戻ってきた。
都で何をしていたのかしら。
もしかしてジャーナリストのようなことをしていたのかも。

徒然草はほんと面白いよ。
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