標高330mのモノローグ

富士山の10分の1、東京23区最高峰の10倍の山間に暮らして20年。地域の自然や思いを綴ります。

旅をして、叔父を拝み、城跡・神社を参観。そして、家系の尊さを知る。

2017-12-08 19:19:02 | 日記
(本文の前に)

帰路の途中、車窓から見た富士山。

2か月ほどから12月6日の静岡行きを計画していた。ところが前日に突然神奈川県に住む叔父が亡くなったという知らせが入り、昨日、帰りの途中に神奈川県にある叔父の家に立ち寄り、お別れをして来た。

叔父は私の母親の弟で、私の幼少時は時々母のところに来ては、家の電気工事などを行なっていたという思い出はある。しかし、その後は何回か法事で会ったことがある程度で、ほとんど付き合いはなかった。

叔父の息子さん(私の従弟だ)と思い出話をした。叔父のこととは別に、我々の祖父母のことが、従弟と私の共通の話題となった。

従弟は遺産相続のことで、戸籍を調べるなどの作業が結構手間がかかるなどと語っていた。それらの話をする中で、是非、昔のことを分かる人が存命中にその人から話を聞きたいということで、一致した。

この前日の夜、私ら夫婦と妹夫婦とで簡単な家系図を作りながらすべて故人だが父母、祖父母のエピソードなどを話した。私たちが存在している足跡をたどり、命が繋がっていく過程を残しておきたい。私と妹の父母や祖父母のことを知る叔母(父の妹)が存命なので、機会があったら話を聞いてみたい。本格的な家系図をつくり、エピソードを残しておきたいと話していたところだった。

昨日の帰りに、犬の散歩できるところということで、伊勢原市にある丸山城址公園というところに寄った。車載のナビで犬の散歩ができるそうなところを探したところ、国道に隣接する公園がそこであった。普通車が10台ほど止められる駐車場があり、トイレも完備された公園で散歩には好適なところだった。

駐車場の注意書きに、この駐車場は公園を利用する人のためなので、営業車が休憩するなどでの使用は遠慮くださいという旨の注意書きがあったが、少なくともタクシーが3台と営業服を着たドライバーらしき人が乗っている車が数台止まっていた。かろうじて私が止められるスペースが1台分空いているだけだった。数えるまでもなく、ほとんどが営業車のようだった。


公園の広場。(以下、夕方だったので写真画像が見にくいところがあるので悪しからず)

公園は高台になっていて、7~8m登ったところにあった。登ってみると広場になっていて、建造物は全くなく、芝生の広場周辺をランニングできるアンツーカー張りの通路があった。1周300~400mくらいの幅で、小学生だろうか私服の女児がランニングしていた。公園にはこの子の友人か姉妹とお母さんらしき人がいただけで、他はだれもいなかった。駐車場に留まっていたのは、ほとんどが営業車だと確信した。

さて、城がいつごろからあったかは定かではないが、発掘調査によると、室町時代のかわらなどが出土され、城郭の遺構も見つかっているとのこと。


この公園の国道を挟んで反対側には、茅葺屋根の古めかしい神社があった。ここは。高部屋神社といい、創建は一説には紀元前660とも言われているとのこと。境内には1386年に平秀憲が寄進した銅鍾が現存している(県指定重要文化財)。また、1647年に再建された本殿が関東大震災で倒壊したとのこと。しかし、1929年(昭和4年)に柱、彫刻、正面扉などをそのまま生かし再建され、また、拝殿は1865年(慶應元年)に再建され現在に至っているとのこと。これら、拝殿、幣殿と本殿は、国登録有形文化財に指定されている。


神社拝殿。


神社本殿


銅鐘


枯れ葉のを踏み満足げなタロ。

今回の叔父の件を切っ掛けに家系のことに思いを馳せた。高部屋神社と丸山城址を見て、更に家系図作りの思いが増した。自分が存在する尊さを改めて実感した旅だった。
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