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「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」第五話

2017年06月15日 | 本・雑誌から
月刊「釣り東北」連載「東北見聞録~謎と不思議と珍談と」~縄文のアイドル?シャコちゃん!~

割安な旅を楽しもうとJRの「大人の休日倶楽部」に入ってから、定期的に「ジパング倶楽部」なる冊子が送付されて来る。毎回楽しみに目を通しているが、昨年末(2014年)の駅舎紹介コーナーに巨大像が張り付いた駅舎のスケッチが載っていた。「何だこれは!」と思わず驚嘆、青森県つがる市木造駅の壁面だ。合併前の旧木造町と言えば縄文時代晩期の「亀ヶ岡文化」発祥の地として知られ、特に有名なのはエスキモー(イヌイット)が着用する遮光器=サングラスを付けた大型の「遮光器土偶」の発見で、土偶は国の重要文化財に指定されている。この文化財がジャンボサイズで、しかも地元で「シャコちゃん」の愛称で親しまれていると言う。これはもう行くしかない!

①巨大駅舎にご対面
秋田市からJR五能線沿いに国道101号線を北上し、黄金崎不老ふ死温泉で知られる深浦町と鰺ヶ沢町を経由してつがる市入り。町中に入ると、どでかい土偶の駅舎はすぐに発見出来た。
「いやーっ、すごい!」そのどっしりとした威容たるや映画の「大魔神」並みとも言える。圧倒的迫力のシャコちゃんは高さ17メートルで、町並みをグルリと見渡している風にも感じ取れた。駅内に入ってみると壁にもシャコちゃんの像、更にはホームにもシャコちゃんプレートがお出迎えと「シャコちゃん・ワールド」が広がっていた。駅舎自体の開業は1924年(大正13年)と古い歴史を持つが、現在の姿に生まれ変わったのは1988年~89年(昭和63年から平成元年)にかけてで、きっかけは全国の地域振興策として国から交付された通称「ふるさと創生1億円事業」だった。


②様々な展開
「ふるさと創生事業」はバブル経済期に、当時の竹下登首相の発案で行われ、大小を問わず全国の市町村に一律1億円が交付された。使い道に関して国は一切関与しないと言う自由さが売りだった。
温泉開発はかなりの数に上ったが、北海道・北東北の変わり種では北海道・夕張市の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」、岩手県花巻市「宮沢賢治イーハトーブセンター」、秋田市の「秋田蘭画」購入など。全国的に見ると高知県の中土佐町の純金カツオ像(その後、盗まれて溶かされる被害に合う)、宮崎県都城市の天文台など、そして群馬県のある村ではそのまま預金して15年間で6千万円の利子を生みだしたと言う賢い例もある。
こうした中では、シャコちゃんも変わり種に位置付けられるのではないだろうか。当初は列車の発着に合わせて目が点滅する「縄文ビーム」が発せられていたそうだが、子供が怖がる等の理由から現在は自粛しているそうだ。東北駅100選にも選定されているシャコちゃん駅舎の他にも、町中にはマンホールの蓋や道路脇のモニュメント、町内案内板など至る所に遮光器土偶が散見出来る。さてジャンボ駅舎には感嘆したが、これだけで満足は出来ない。そこで「原点に触れなくては!」と次の目的地へ。

③亀ヶ岡文化に触れる
「亀ヶ岡」と聞けば考古学ファンなら胸がときめく響きでは無いだろうか。かく言う筆者もその一人で、三内丸山遺跡や小牧野遺跡など青森県には何度も足を運んだが、亀ヶ岡遺跡を訪れたのはシャコちゃんが縁で今回が初めてだった。
駅から亀山地区に向かい、史跡亀ヶ岡遺跡…通称シャコちゃん広場に到着し、大きなモニュメントとご対面。1887年(明治20年)に、この地から片足が欠けた34.2㎝の大型遮光器土偶の他、造形的に優れた土器やヒスイ製の玉類などが出土し、文化度の高さから「亀ヶ岡文化」と呼ばれる様になった。
縄文時代と言えば、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期と6区分され、約1万年に及ぶ縄文時代のラストを飾るのが「晩期」だ。亀ヶ岡文化の広がりは北海道・東北のみならず、東日本・北陸にも及ぶ一大文化圏を形成していたと見られている。以前、石川・福井県方面の調査に出向いた折に、若狭湾周辺の土器分布圏が、東日本の亀ヶ岡文化圏と西日本の突帯(とったい)文化圏がオーバーラップする地域で有ることが確認出来た。亀ヶ岡発祥の文化圏が、如何に成熟した広さを持っていたのかを目の当たりにした事を思い出す。

④出土品の展示
出土品は市役所近くの「縄文住居展示資料館カルコ」と、山中にある「木造亀ヶ岡考古資料室」で見る事が出来る。折角なのでシャコちゃん広場上の高台にある「考古資料館」に向かった。が、道が中々分らない。地元の駐在所に尋ねると「少々ややこしいけど山の中ですよ」との答え。うっそうと繁る林の中に入って「本当に有るのだろうか」と少々不安だったが、何とか辿り着いた。
館内入口では遮光器土偶のレプリカ「シャコちゃん」が迎えてくれた。そして出土した土器類が並ぶ資料室の壁面に注目すべき古文書が目に入った。亀ヶ岡文化について最も古い記録で、元和9年(1623年)の「永禄日記・館野越本(たてのこしぼん)写本だった。そこには「土中に多くの瓶(かめ)が…」と書かれていた。時代を超えた貴重な資料だ。その後、江戸時代の紀行家・菅江真澄らの見聞録にも遺跡は登場している。シャコちゃんとの出会いは駆け足ではあったが、古代への浪漫を掻き立てる貴重な体験となった。シャコちゃん!有難う!
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