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人は死なない 矢作直樹から

2017年06月16日 | 不思議
前に矢作直樹氏を尋ねたTV番組の動画をアップした。
その後に、同じ医師である南淵明宏氏の動画もアップしたのだが、ちょうど同時期「人は死なない」を読み返している時にアッとビックリした場面があった。
実は、この「人は死なない」の中に、矢作氏の実母が病に倒れ救急の病院に入るのだが、この時の担当医師が南淵明宏氏であったのだ(旧知の間柄で矢作氏が依頼した)。


この「人は死なない」の中に矢作氏の実体験として二つの印象的な場面がある。
一つは若き頃、矢作氏が熱中した登山での出来事だ、彼はこう言っている。

大学では単独登山に熱中し、冬山で大きな事故を2回経験しました。
最初の墜落事故では、落ち始めた瞬間に死ぬと思いました。奇跡的に助かったのに懲りず、同じ年、また冬山で滑落しました。その時も助かって下山した後、どこからか
『もう山に来るな』という声が聞こえたのです。以来、ぱったりと登山をやめました。
あの声は単なる幻聴だったとは思えないのです。


そして、今一つは実母の話である。南淵医師の処置も虚しく結局実母は他界する。
実母の死後、もう少しこうしてあげられたら・・・・等々で、悶々としている時、知り合いの霊体質の女性から「お母さんがあなたと話したがっている。あなたが望むなら合わせてあげる」と言われ、それを承諾する。
その経過は下記の通りだ。

・平成21年3月、矢作氏は、これまで電話でやりとりしていた友人で、霊能力を持つという会社経営者の60歳女性Eに会った。
・その後、Eから電話があり、矢作氏の亡き母が息子と話したいと自分にしきりに訴え、息子に申し訳ないという強い思いを送っていると言った。
・二週間後、Eの知人の日本舞踊家元F宅で、Fにサニワ役をしてもらい、母の降霊をした。

・Fが「矢作美保子様ですね」と言うと、Eが「直樹、心配をかけて御免なさい」と、母が若かった頃の感情的になった時のような口調だったとのこと。
・それから、矢作氏は、母が乗り移ったEと手を取り話し始めると、力んでいた母はほっとしたようで、生来の重たい口調になり、矢作氏から訊かないと口を開かなかった。
・矢作氏は、母(浴槽で孤独死した)に、「いつ亡くなったの?」と訊くと、「直樹が帰った日の夕方ね」と答えた。その日は5月6日で、死体検案書に記載された日だった。また、母は夕方17時頃入浴する日課だった。
・「亡くなった時、結婚指輪を外していたけど、いつ外したの?」と、矢作氏はもう一つ疑問に思っていたことを訊くと、「私がこちら(あの世)に来る二ヶ月以上前よ。お父さんの命日の後ね。箪笥の上に置いた通知用の葉書もその時いっしょに置いたの」と答えた。

・以上の母についての情報を、矢作氏は、E氏やF氏や誰にも話したことはなかったとのことという。
・また、心の中に言いたいことを留めるように視線をやや落とす仕草が母独特のもので、生きている母と向き合っているように錯覚しそうだったとのこと。
・最後に母は、「ええ、お別れよ。元気でね」と、全く未練がましくなく晴れ晴れとした口調だったという。
降霊会後、EやFが言うには、交霊を望んでくる霊は現世の事柄に執着が強く、もっと感情的なやりとりとなるとのことだが、生前の母を知る矢作氏には、言いたいことを必要最低限話し、さっさと行ってしまうのは、いかにも母らしいと感じられたといいます。


この降霊の話を信ずべきか、否かは読者にお任せする。
私とて俄には信じがたい。しかし、矢作氏は東大の現職の医師である、ほら話を吹聴するとも思えない。世の中は不思議に満ちている・・・・・・
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