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仙境異聞 天狗少年寅吉物語17

2017年05月14日 | 不思議
さて、翌十六日の昼前に、健雄、稲雄の両門人二人を付き添わせ、童子寅吉を美成氏の許へと送り帰し、この童子を途中で引き留めてしまった事情について謝らせた。ところが、その昼過ぎ頃であろうか、童子寅吉は旅装束に身をまとって(こちらに)やって来た。そこで、「どうして、わざわざやって来たのだ。」と尋ねると、「美成様が、『早いところ深山へと旅立つが良いぞ。』と仰るが故、にわかに支度して出てきたのですが、(そなた様に)しばしの別れを告げようと思ってこちらに立ち寄らせて頂いたのでございます。」

「それならば、今日は既に遅いことでもあるし、今夜は私の処に泊まって、明日旅立つことにしなされ。」と云うと、「だったら、お言葉に甘えることにいたします。」と答えて、(この日は)泊まったのである。試しに、「そなたは、常陸国に行く道をご存知か。旅費は持ってござるのか。」と聞いてみると(寅吉は)、「美成様から預かり申した。」と答えて、八百文ばかりを取り出して見せ、「私は師に連れて行かれる度に、殆どは空ばかりを飛行していたので、下界の路は存じませんが、筑波山を向かって見ながら歩いて行くとするならば、目的の場所には何れ辿り着くだろうと考えております。」と語り、全く心配する気配がない。

(旅の経験浅き童子ゆえ)大変可哀想に思ったものだから、(寅吉に対し)「守屋稲雄門人に、深山の麓まで送らせて欲しいのだがどうであろう。」などと話を持ちかけていた矢先、五十嵐対馬門人が、明日、笹川へ帰るというので別れの挨拶をしに参られた。その場において、私が対馬門人に話したことには、「寅吉が再び深山へと旅立つにあたって、その道程を知らないと聞かされたのだ。だから、どうにかして笹川へ連れて行って、暫くの間はそなたの家に泊め置いてやり、(寅吉に尋ねて)幽境のことを重点的に探求してもらいたい。(その上で)笹川から筑波山までは僅かな距離しかないから、麓まで送って欲しいのだが。」というものであった。

すると、対馬門人は、あっけなく同意され、「そういうことであれば、明日、出来る限りそなた様の許にお立ち寄り致して、連れて行きたいと存じます。」と返事をするなり、旅宿へと帰っていった。夕方になると、寅吉の兄上の壮吉殿がやって来て、弟である寅吉に逢って別れを惜しんだ。

そこで、「母上という方は大変思い切りが良いけれども、私は兄弟数人いる中で、男といっては、そなたばかりであるから、お互いに心を一つにして、母上を養ってゆこうと思っておった。だから、(これから)いつ逢えるとも分からない境に旅立つ事が、どうにもならない事と聞いてはいるけれども、いつの日か、きっとまた帰ってくるのだぞ。」と云って、顔すらしっかりと上げられずに泣いているのを、寅吉は瞬きもせずに目を見張っていた。兄上が涙をぬぐうのを大変不思議そうに思える様子でじっと見つめていたのである。

(その時、)寅吉は、「男ならば泣くものではありません。どのように思われているにせよ、私は因縁あってこのような身と相成ったのですから、今更どうしろというのです。私のことは死んだ者と思って、母上においては兄上お一人で養って下さる他はありません。私に出来る事といえば、母上の命がある限りは、年に一度は必ず帰ってきて、お力になれることは助けて差し上げましょう。」と語ると、兄上は相変わらず、くどくどと繰り返し説得して別れを惜しんでいた。けれども(私が)、「傍目から見てすら、寅吉はあのように神に魅入られた者であるから、そのような兄上の心にも任せぬ事であると納得せざるを得ないのではないか。」などといって慰めると、兄上も承知して涙ながらに帰って行った。

後になって寅吉が語ったのは、「私とて、親兄弟との別れが悲しい事を知らないわけではないけれども、幽冥界の境のしきたりがあって、泣く事を堅く戒めているのです。また、未練の心を持って入山した後に、(郷愁に駆られる余り)泣きなどすれば、修行の妨げとなって(大切な)行をやり損なうものですから、わざと兄上に対して冷淡に取り成したのです。」と云う事であった。すると、周囲に居合わせていた方々は、兄弟それぞれに道理のある言い分なのであって、(どちらが正しいなどと)いかにも判断することが難しいと、中には涙ぐむ者さえも有ったのである。

かくして、翌十七日の朝、対馬門人は約束したとおり旅装束に身を包み、お供の者と二人して立ち寄ったのだが、寅吉は(この上もなく)悦んで、旅の支度を始めたのであった。この場でもって、私が昨日の夜したためておいた神仙への手紙と、(寅吉への)はなむけの歌とを書いて渡すと、稲雄門人が与えた背負い箱に入れて背負い、また、同行の方にお願いして譲ってもらった藤の木の長杖をつき、更には、信友氏が授けた芦根石の笛に紐を付けたものを腰に下げて、(まさに今、)旅立とうしていた。

そして、今朝、この童子が行く先の無事を祈っていると、阿須波の神に献上していたお神酒を持って入山を祝い、皆が揃って拍手喝采し、家にいた者達はといえば、やれ笠やら草履やらと世話を焼いて、涙ぐみつつ門口にまで立って見送った。すると、(寅吉はこれに応える様に)振り返りながら、にっこりと微笑んで旅へと出発したのであった。

(寅吉が)通り過ぎた跡にも関わらず見送って、女達は涙を流しながら彼の噂をしていたが、私は「別れを惜しんで泣いたりなぞしていては、彼の修行の妨げとなると云われたのを忘れてしまったのか。」と叱りはしたものの、涙というものは胸に迫って(例えようも無いほどの)心持にあった。この時、(寅吉に託した)神仙への手紙の文面は、次の通りである。

この度は、思いもよらず貴山の許でお仕えされる童子に対面いたしまして、(その際に)お傍のご様子を、概ね拝聴させて頂きました。さすれば、私が年来抱いていた疑惑を晴らして下さる内容の数々がその中に有ったのです。(これは、)全く持って千載一遇の思いがけない出逢いであると、(大変)かたじけなく思わせられたので御座います。

そういう事がありましたものですから、(この上なき)失礼をば顧みず、仕えの童子が帰山する際に託して、一通の書簡をご献上いたすので御座います。何はさておき、その際に沢山の方々が(見送られた際には)、いよいよもって若々しく溌剌として御勤行されていたご様子を(拝見し)、尋常ではない程に、恐れ多くもお祝い奉ったのであります。

そもそも、神の隠り世におきましては、顕在界と幽冥界とは別々に定まっております。ですから、ここに引き起こされた(寅吉に関する)不測の事につきまして、幽境における事情は現世から窺い知ることの難しい原因も御座いましょうが、現世での原因に関しましては、あなた様の御許において、つぶさにご事情を把握された上で、(寅吉殿が)ここに居る気がしてならないのです。ですから、(この件は)必ずやご承知頂いている筈の事柄であるとご理解奉るので御座います。…
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