ランニングおやじの野望!

50歳を目前に突然走り始めた鈍足おやじランナーのトレーニング雑記です。

『負けるのは美しく』

2011-05-18 22:20:57 | 本・漫画・映画など

亡くなられた児玉清さんの自伝エッセーを再読している。書名は上記。(2005年 集英社刊)
見返しページのサインの文字からも誠実なお人柄がにじみ出るようだ。(もちろん個人的な面識はないが)

書名の由来を本文でこう述べておられる。
「そこで心に期したことは、負けるのは美しくということであった。所詮、僕のスタイルを押し通そうとすれば、最後はすべて喧嘩になり、暴発して限りがない。
ここで思い出されるのが、性格は運命だというヘラクレイトスの言葉だ。なれば、どうせ負けるのなら、美しく負けよう。(略) すべては負け方にあり、負け方にこそ人間の心は現れる、と、しきりに思うことで、心が静まったのだ。(略) 心の中にあったもやもやと苦渋の塊は決して霧散はしないが、何よりもの俳優として生きる心の励みと戒めになったのだ。
爾来、『負けるのは、美しく』は僕のモットーとなった。」

10年に及ぶ下積み時代、その後も波乱万丈、紆余曲折を経ながらも一見、淡々と飄々と俳優人生を過ごしてこられたように見えたのは、この美学ゆえだったのかも。

訃報を伝えるニュースの中に、氏が病院ぎらいだったため胃がんの発見が遅れた、といった趣旨の報道が見られた。が、それはおそらく的外れであろう。美学ゆえ、でもなく、娘さんの早逝に関わる医者不信が根底にあったのは間違いあるまい。

自伝の最終第5章は「天国へ逝った娘」と題して、2002年に36歳で先立った愛娘への思いと末期胃がん闘病記が綴られている。
実は、以前この本を読んだ時には、あまりにつらすぎて最終章は読めなかった。ようやくきょう読み進むうちに涙と憤りがこみ上げて、もうグチャグチャになってしまったところを妻に目撃されてしまい、「心配と迷惑」をかけた。
これは、ひどい。あまりにもひどい無責任、反人道といわざるをえない。結局は医者の自己保身である。
これで「病院ぎらい」にならないほうがどうかしている。
「ここからは僕の推察」と前置きした上で、あくまでも静かに抑えた筆致で書いておられるのが、いっそう胸に沁みてくる。その心中の沸騰はいかばかりであったろうか。

ここで悲憤慷慨しても始まらないので、猛烈な読書人としても知られた氏が読書の喜びを熱く語っている一節を紹介して、追悼とさせていただく。

「母の突然の死によって偶然に俳優の道へと踏み込んでしまった僕の人生。様々なる葛藤をすべて吸収し、癒し、且つ活力をもたらしてくれたのは、実は本であった。読書の無限の楽しみと至福の喜びであったのだ。俳優という仕事のもたらす、どうにも口惜しくてたまらぬ自分の至らなさ、誰にぶつけようもない、臍(ほぞ)を嚙む思いを、嘆きを、吸収してくれたのは、そして心底癒してくれたのは、読書であった。
面白本に熱中すれば、たちどころに、浮世の嘆きや、うさや悩みを吹き飛ばしてくれるのだから、こんなに有難いものはない。しかも最高に嬉しいのは、世界には沢山の小説家がいて、目茶面白小説を一杯生み出してくれていることだ。つまり、世に、僕の憂いを払う玉箒は尽きることはないのだ。」


※TBSラジオ毎週水曜夕方の「勝ち抜き時事川柳」、今回の勝ち抜き作は。

   まだ耳に 「アタックチャンス!」 こだまする

選者が「品格ある川柳」と高く評価していた。同感。

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