民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「ジグソーパズル」 マイ・エッセイ 28

2017年05月19日 00時05分16秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
 「ジグソーパズル」

 毎朝、決まった時間に起きなくても平気になって、もう八年が経つ。リタイアしたら好きな囲碁が思いっきり打てると楽しみにしていたのに、まだ一度も碁会所に行っていない。現役の時は思ってもみなかった新しいことにいろいろ手を出して、そちらに関心が移ってしまっている。                                                                         
 オイラは出不精なので自分の部屋にいることが多い。中央に据えてある座卓にドカッとあぐらをかくと、ちょうど目の前にガラス扉のついた、腰くらいの高さの飾り棚があり、その上に立てかけられた未開封のジグソーパズルの箱が目に入る。
 いつ買ったのか覚えていないほど、押入れの奥に眠っていたのを、四、五年くらい前に見つけて、ヒマができたらやろうと出しておいた。それからは目に入るたびに無言の圧力をかけてくるが、ずっと無視し続けている。
 どこで買ったかは覚えている。その頃はもうジグソーパズルをやることはなくなっていたが、以前に熱中したことがあって、デパートでジグソーパズルのコーナーを見つければ、どんなモノがあるか気になってのぞかなくてはいられない。そうしてひと目で気に入ったのが、この1,000ピース のゴッホが描いた『アルルの跳ね橋』だった。
 ジグソーパズルに熱中したのは独身時代のことだ。今はなくなってしまったが、宇都宮市の中心、二荒山神社の近くに『桃太郎』というおもちゃ屋があって、その二階の奥まった一角にジグソーパズルのスペースがあった。好奇心にかられてやってみると、少しずつできあがってゆく楽しみと最後のピースを入れる時の達成感に魅せられた。
 単純ではあるけれど、全神経を集中してピースを捜していると、余計な雑念はすっかり蒸発して、頭はからっぽになる。深夜遅くまでジグソーパズルにのめり込み、早く寝ないと明日の仕事にさしつかえると危惧しながら、あと一つ、あと一つと切りがなく、なかなかやめることができなかった。
 気に入った絵柄もなくなって、同じ模様のくり返しパターンが絵柄の、難解なジグソーパズルに挑戦するようになった。それらもどうにかクリアして、最後に手を出したのは絵柄のない黄色一色のヤツだった。500ピースだから数はたいしたことはないが、絵柄がないのでピースを捜すのに頼りになるのは形だけしかない。これが思ったよりきつかった。どうにか四辺の枠だけはそろえることができたが、それから先がなんとしても進まない。2時間、3時間とやっても一つのピースも見つからないことが続いてギブアップ。以来、ジグソーパズルから遠ざかっている。 
 『アルルの跳ね橋』の箱を見ながら、どうして手を出さないのか、ときどき考える。やればおそらく二週間くらいはかかるだろう。それまで目が持つだろうかという心配がある。かなりのスペースが必要になるから、その間ほかのことをやるのにジャマになるという問題もある。それに一度やりはじめたら完成するまではほかのことができなくなるというオイラの性分もやっかいだ。
 こうして考えてみると今まで手を出さなかったのも理解できないわけじゃないけど、なんだかなぁ、という違和感も拭い切れない。
 そんなに走ったって疲れるだけだよ、どこからか少し休んだらという声が聞こえてくる。
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