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『悲しい酒』 美空ひばりの流す涙の理由

2016年12月28日 00時13分37秒 | 雑学知識
 「夢人生を奏でて」 古賀政男 生誕百年記念特別版  2004年

 『悲しい酒』 美空ひばりの流す涙の理由 P-134

 心に浸みる名曲の作詞者は石本美由起だ。1960(昭和35)年のある日、彼はコロンビアのディレクターから、『酒は涙か溜息か』の現代版を書いてほしいという依頼を受けた。ほぼ一ヶ月の間彼は悩み抜き、この重たい企画を胸に抱きながら、銀座や横浜の酒場を飲み歩いた。

 そんな難産の末にできあがった詩に古賀が曲をつけた。
 この歌は最初、新人歌手の北見沢惇に歌わせ、同年7月新譜として発売されたが、これといった反響もないままに消えてしまいそうになった。

 そこで歌手を変える話になり、アントニオ古賀と北島三郎の名前が挙がった。結局、北島がレコーディングするのだが、その直後、第七番目のレコード会社として誕生したばかりのクラウンへ移籍してしまい、発売中止にという結末。そのとき古賀は石本にこういっている。

「石本くん。この曲は何年でもあたためていて、これはと思う歌手が見つかったら、そのときにやりましょう」
 1966(昭和41)年になって、『悲しい酒』に、これはと思う歌手の中で、新たな生命が吹き込まれた。

 美空ひばりである。
 といっても、すぐに火がついたわけではなかった。
 ステージやテレビでひばりが何度も歌い重ね、ラジオで頻繁に流しているうちに、この歌は大衆の間に浸透していった。

 やがて、レコード売上は百万枚を突破し、ひばりの曲では『柔』と並ぶ大ヒットとなった。
 石本は次のように言った。
「これは、古賀先生と私のコンビで生まれた最大級のヒットソングであり、永遠の名曲だと思っている。この曲と巡り会えたことによって、作詞家として生きてきた自分の人生に、生き甲斐と安堵感を抱くことができた」

 一番と二番の間で語られるセリフは、石本の詩には書かれていない。だから、ひばりが最初にリコーディングしたときもそれはなかった。
 その後ひばり自身の発案により、あのセリフが作られたのだ。
 ひばりはこの歌を歌うとき、必ず涙をこぼす。
「歌いながら、つらい思い出ばかりの小さいころに戻るの。すると、ひとりでに涙が流れてくるの」
 と、その涙のわけをこう話していた。

 石本 美由起
 日本作詞家協会名誉会長。歌は詩心を歌うとモットーに音感の綺麗な言葉を使用、定型詩の美しさを重視した詩作りを行い歌謡界に一時代を築く。代表作に『憧れのハワイ航路』『悲しい酒』
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