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「大学」 花森 安治

2016年10月21日 00時14分02秒 | 雑学知識
 「きのうきょう」 社会時評集 花森 安治 LLPブックエンド 2012年

 「大学」 P-88

 世の中へ出て、いい暮らしをするには、よい勤め先をえらばねばならぬ。よい勤め先をみつけるには、よい大学を出なければならぬ。よい大学へ入るには、よい高校へ入らねばならぬ。よい高校へ入るには、よい中学、よい小学校、そしてよい幼稚園へ入らねばならぬ・・・いまの世間をみていると、こういうヘンなスジみちが立っているようだ。
 つまり、いま「よい学校」というのは、上の学校へ入る率の多い学校、就職のらくな学校ということらしい。本人も先生も、親も、それだけを考えて暮らしている。そうするより仕方がないと考えている。

 6・3・3・4プラスアルファ、しめて20年近い年月を、朝から晩まで、ろくにコドモらしく若者らしく、たのしい日々をおくることもせず、試験と就職のことばかり考えて過ごしてきて、やっと思いをとげたとする。ところが、その「よい勤め先」では、大学出の新入生など、まず3年や5年は、大して役に立たぬ、というのが相場である。
 つまり「勤め先」の方では、その3年から5年のあいだの月給を払って、教育をやり直している、という勘定になる。

 大学が、実際は就職のためのパスポートなのに、一方では「学問」をするところ、きめられているから、こういうムダができる。
 どうせ3年も5年も月給を払って教育をやり直すのだったら、いっそ会社や役所で、はじめから自分のところに向く人間を養成する「学校」を作ればどうだろう。「なんとか銀行付属大学」「なんとか省大学」というふうに。
 そして、ほんとに「学問」をしたい人間だけが、肩書きのない「大学」へゆくようにすればよい。

 (昭和32年9月26日)

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