『放射性物質を除去する目的で、福島県郡山市が小中学校や保育所のグラウンドの表土を削り取る作業を始めたことに、土を運び込む予定だった処分場の付近住民が猛反発している。処分への理解が得られないため、市は新たな対応を迫られている。
郡山市は市立の28施設で表土の除去をする予定で、27日は薫(かおる)小学校と鶴見坦(つるみだん)保育所で表土を削った。薫小学校では作業後、集めた表土を校庭に積み上げ、ブルーシートをかけた。削り取った土は同市逢瀬町河内の河内(こうず)埋立処分場に運び込むことを予定していた。
ところが、この日夜に学校教育部長や生活環境部長らが参加して処分場付近の住民向けの説明会を開いたところ、集まった約80人から批判が続出。「地域に事前の説明なしで、なぜ物事を進めるのか」「バカにするな」「国や東京電力がやるべき問題で、市がやることではない」と、市の姿勢に怒りの声が上がった。
市は安全性について「運ぶのは格別に高い汚染の土壌ではない」などと説明。だが、文部科学省が表土を削らなくても利用時間を限れば安全とするなかで市が独自に取り組んだことに、ある女性は「市の勇み足だ。国がノーと言っているのに、なぜ、市だけが急ぐのか」と詰め寄った。
市側は「事前に説明をすればよかったと反省している」と頭を下げ、「みなさんの理解が得られないうちの強行突破はない」として、土を運び込まないことを約束した。
市は28日、残りの26施設に加え、要望があった民間の幼稚園や保育所計38施設でも順次作業を進める方針は変えないことを確認。ただ、処分場への埋め立てのめどが立たなくなったことを受け、当面、除去した土の山に飛散を防ぐ樹脂を吹き付けて校庭に置いておくことを決めた。(斎藤健一郎) 』
事前に説明しても反対は変わらないかもしれない。東京電力が「低濃度という」汚染水を海に捨てたケースや、いまだに汚染物質を垂れ流している状態をみると、どこでも同じことをしている事になる。市側としても子供たちの健康を守るために表土を削って捨てようとしたわけで、よりリスクの高い状態を解消しようとしただけである。説明されればなるほどと一瞬思うが、しかし、このような事はしょせん自分の事しか考えていない事になる。よりリスクの高い状態を解消する事は必要な事だが、問題はその手段だ。
つまり表土を削り取る作業を行っても、それをどのように処分するかが重要な事だ。それが決まらないうちに、表土を削り取るとは、市の勇み足といわれても仕方がない。本来、このような説明をして理解を得る事は人間社会の常識的な事だが、皆、いつしかそのことを忘れてしまった。それは他人に対する思いやりだ。自分さえよければという気持ちが先行してしまう。東電が汚染水を捨てた時、韓国でも同様の反応を示した。その時政府は国際法上は問題ない。というコメントを発表している。国際法上の問題ではなく、要は気持ちの問題だ。
先日亡くなった、元キャンディーズの田中好子さんのメッセージは心に響いた。お世話になった方々に感謝の気持ちを表すことと、東日本大震災の犠牲者のお役に立ちたいという気持ちは他人を思いやる気持ちの大きさを表している。他人の気持ちを大切にする。そんな事ができれば、日本の首相も今のような窮地に立たなかったのかもしれない。