日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2017-07-12 00:18:37 | 大分中央ウィークリー

創世記24章43節である。「わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っていますから、どうか、おとめが水をくみにやって来るようになさってください。彼女に、あなたの水がめの水を少し飲ませてください、と頼んでみます。」という。「御覧のように」と神ご自身に呼びかけているのは非常に謙遜である。口語訳聖書にはその謙遜なニーュアンスが表現されていない。原文ヘブライ語では「ヒーネー  アノキー  ニツァブ ~」である。英語の改定標準訳では、「behold ,Iam standing ~」ときちんと翻訳している。

 

われわれも日常生活で気をつけなければならない。いわゆる、やたらと自己主張を繰り返しながら日常生活を続けるのが普通である。確かに自己主張が悪いのではない。神が力を貸すから、つたない自己主張も実現に至るという認識があるかないかが大事である。

 

44節である。「『~どうぞお飲みください、らくだにも水をくんであげましょう、と彼女が答えましたなら、その娘こそ、主が主人の息子のためにお決めになった方であるといたします。』」という。これは、今までの続きであるから、すでに彼が行ったことを思いおこしながら、極めて同じように、異なるところがないように、正確に思い返して語っている。

 

その表現の正確さが、そのままアブラハムの僕の主人の神への信頼と忠実と、周りの人々への誠実を映し出すことになります。事実、どこのだれが、イサクの嫁になる人なのか、この僕にはまったくわからなかった。それで不安であったと人は考えるであろう。しかし彼には自分が決めるのでないところに信頼があり全く動じないといえる。

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