日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

牧 会 通 信

2017-07-19 22:36:44 | 大分中央ウィークリー

(原 光訳 2000年、沖積舎)

ダンテの「神曲 地獄」編 17歌(カッコ内は筆子、その8)

◯すると青い孕(はら)み豚の紋章のついた、白い小袋をぶら下げたものがわたしに言つた、「この奈落で何をしてるんだ?

  行つちまへ、お前はまだ生きているんだから、(世に伝えるために)知っとけ、わしの隣人ヴィタリアノはわしの左手の(罪が大きいために)ここに坐るんだ。(「パドヴァ」フィレンツェの北200キロの都「パドバ」)

  このフィレンツェの奴等と一緒のわしはパドヴァ者だ、こいつらはしばしば絶叫してわしの耳をつんざく、最高の騎士よ来たれ、(前回ここまで)

◯雄山羊三頭の財布をもって! と。」ここで口を歪めて舌を外へ引き出した、鼻を舐める牛のやうに。

  もつとゐつづけると、すぐ戻れと忠告した師が苛立ちはせぬかと懼れて、わたしは惨めな霊たちから引返した。

  先達はすでに猛獣の背に乗つてゐて、わたしに言つた、「さあ肝つ玉太く思ひきつてやれ、(つづく)

 

◯本日、7月16日(日)の日本聖書協会の、「聖書愛読こよみ」の主題は「自然の中で神をたたえる」という。聖

書は詩編121編1~8節である。その1節、「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来る

のか。」と。わたしたちの祈りは、主なる神に幸いを求めることから始まるといってよい。あのカールブッセ〔上田

敏訳〕の詩を思い出す。「山のかなたの、なお遠く、幸い住むと、人のいう。」と。幸いを求めるのが祈りの基本

でわれらもまた、この大自然の中でこそ、主なる神に「幸い」を求められよ。

◯写真は、先月6月11日特別伝道礼拝の感謝会の記念写真。伝道のご奉仕の喜びの思いを込めての集ま

り。種蒔きの実りが現れるように。

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