日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

聖書研究

2017-06-15 16:22:31 | 大分中央ウィークリー

創世記24章39節である。「わたしが、主人に、『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うか

もしれません』と申しますと、」といいます。ここに彼の仕事に対する慎重さが見えます。アブラハムに進言して

アブラハムからの考えを引き出そうとしていました。そのために彼が思いだしながら、ここにその経過をそのま

ま繰り返している。

 

確かに、ここに思い出しながら、繰り返いてはいるが、その背後に神が働きかけておられるという、神の真実を

そっと語るのが目的であった。『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うかもしれません』と

は、彼女に進んで来たいと思わせるところの神の働きかけを期待しながら、神に向って話しかけているようでも

あるといえるし、またわたしどもの神学的理解のためにもそのように考えねばならない。

 

40節である。「主人は、『わたしは今まで主の導きに従って歩んできた。主は御使いを遣わしてお前に伴わせ、

旅の目的をかなえてくださる。お前は、わたしの親族、父の家から息子のために嫁を連れて来ることができよ

う。」と。この言葉は、まだ現実にはなっていない。アブラハムの僕にとって、人間的には、主人のアブラハムか

ら聞く一つの予想であり、一つの仮説である。その反対の結果もありうる性質の言葉であった。

 

しかし、そうであるにもかかわらず、やはり僕の主人アブラハムは、信仰の人であった。それゆえ彼の不安を払

拭すべく、ここで主人が彼に語りかけたのを思い出させたのであった。「主人は、『わたしは今まで主の導きに

従って歩んできた。~』」と。それゆえ、「主は御使いを遣わしてお前に伴わせ、旅の目的をかなえてくださる。」

という。三段論法である。彼、僕は得心して、その心の内の言葉を感謝して打ち明けた。

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