創世記24章23節である。「あなたはどなたの娘さんですか、教えてください。お父様の家にはわたしどもが泊めていただける場所があるでし
ょうか」と尋ねた。」という。多分カナンからの出発に際して、この僕は、主人の使いですから、主人アブラハムの親族関係をつぶさに聞いてい
たと思われる。それで「あなたはどなたの娘さんですか、教えてください。」という言い出しになったのであろう。あまりにも祈りの通りに驚きつつ、
ほぼ間違いなくアブラハムの親戚の一人であろうと予想したようである。
「泊めていただける場所があるでしょうか」とは、万が一、もし、間違ったときのことというより、何もかも知っているという立ち入り方を避けて、
わざと知らない部分を作って、時の旅人のように見せた言葉のように思われる。従って、一つ知らない部分を作って尋ねるのは、儀礼的な
質問であろう。そして彼女からの答を待った。
24節である。「すると彼女は、『わたしは、ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です』と答え、」という。このような状況の下でわたしたち
ならどうであろうか。「わたしの父はナホル、母はミルカといいい、その娘です。」と答えるのではなかろうか。役所に戸籍があるからそれで
よい。しかしこれはそうではない。族長時代の特色がよく現されているということであろう。
どこまでも一族のつながりによって人間としての存在感を共有していた社会なのであった。「ベトエルの娘です」というだけで名を言わない。
しかし僕には彼女の名は「リベカ」とわかった。すでにアブラハムには、ナホルに8人の子があり、その末っ子ベトエルはリベカの父となった
との報告があって、よく覚えられていた(22:23)。