(原 光訳 2000年、沖積舎)
ダンテの「神曲 地獄」編 第15歌(カッコ内は筆子、その11)
◯あれほどひどい邪悪の巣がつくられたとき、あすこにとどまつたローマ人の神聖な種がその中に蘇(よみが)るにのだから。」
「わたしの願ひがすつかり叶えられたら、」とわたしは答えた、「あなたはまだ人間の生(いき)身から追放されずにゐたでしせう、
かう言ふのもあなたがあの世界で時折、人間が不滅になる術(すべ)をわたしに教えて下さつたときの、あの慈父のやうな懐しく親切なお姿がわたしの心に焼きついてゐて、(前回ここまで)
◯いまわたしをいたく悲しませるからです、わたしがあれをどんなに尊重してゐるか、わたしが生きてゐるかぎり、わたしの言葉でそれを見分けられるやうにせねばなりません。
わたしの行末について話されたことをわたしは肝に銘じて、そばに着いたら真実を知つてゐる婦人に説き明してもらふために、他の言葉とともに貯へておきませう。
これだけはあなたにきつぱり言つておきたい、わたしは良心の呵責を感ぜぬかぎり、どんな運命にも屈せずにゐられます。~(つづく)
◯本日、2017年1月8日の日本聖書協会「聖書愛読こよみ」の主題は「世の光」という、聖書の箇所はマタイの福音書5章1~12節である。いわゆるイエス・キリストの山上の説教の始まりである。八福の教えとしてよく人に知られてい
る。福袋の中の一つは、何か、第一の「幸い」(福)は、3節、「心の貧しい人々は、幸いである、天国はその人たちのものである。」という、どういう意味であるのか。しょっぱなから、考えさせられる。いいことのようであるが、しかと分らない
というのが正直な感想で
はなかろうか。年の初めだからよう考え
て頂きたい。暗き世を燦然と照らす「光」
があなたの心の中にある。どんな「光」。
◯写真は、1月1日(日)元旦主日礼拝
後の、日曜学校生徒二人である
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