日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2017-09-18 22:42:31 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(428)  近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」(1968.教団出版)(その68)

  最終篇に入ります。

第二十二篇 神の国の永遠の浄福に

  7.この世がキリストを信じるに至ったのは、人間的な説得の結果ではなく、神の力の結果である。

 8.この世をキリストの信仰へと獲得するためになしとげられ、世界が信ずるに至った今でもなされている

   奇跡について。

聖書正典はひとたび制定されると、昔の奇跡を世界のすみずみにまで知らせることとなり、いたる所で人々の

記憶に強い印刻を与えることとなった。しかるに、もっと最近起こった奇跡は、それが行われた町とその近郊で

ようやく知られているに(前回はここまで)過ぎない。その場合でさえも、きわめて小数の者だけがそれを知っ

ており、他の者は何も知らない。これは特にある大きさの町においてそうである。物語りが広められたときで

も、直ちにこれを信ぜしめるに足るほどの権威による裏打ちを欠いているので、ただキリスト信者の間でだけ

次々と伝えられるだけである。

  わたしがミラノに住んでいたころに、そこで起こった奇跡―盲人が視力を回復するという奇跡は、もっと広く

知られている。ミラノが大都会だからである。皇帝もそこに居合わせていた。出来事はプロタシウスとゲルヴァ

シウスという二人の殉教者の栄誉をたたえるためにやって来た多くの群集の目の前で起こった。彼らの遺骸

は全く失われてしまったのち、司教アンブロシウス〔三三九頃ー三九七、四教会博士の一人〕への夢の

(つづく)(「神の国」出村彰訳)

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聖書研究

2017-09-18 22:30:20 | 大分中央ウィークリー

創世記24章53節である。「そして、金銀の装身具や衣装を取り出してリベカに贈り、その兄と母にも高価な品物を送った。」という。これらの贈り物の贈与の数々は、今日のわれわれも結婚式の前の習慣として互に交わす「結納」であろう。出発の時はあまりにも遠い旅になるであろうと予測されたところから、道中の危険にもかかわらず、よくもこのような高価な贈り物を持ち運んだものとは、ただただ驚きである。神の御守りであろう。

 

今日ではほぼ同じ心がけであろうが金銭、織物、酒肴などを心を込めて取り交わす。見つかるであろう嫁が、多分遠い縁戚となるであろうと予想されたこともあり、また長い旅路を全10頭のらくだによって運ねばならなかった。あらん限りの安全への気配りしながらの、心を込めた高価な贈り物であることが、相手によく分った。

 

54節である。「僕と従者たちは酒食のもてなしを受け、そこに泊まった。次の朝、みなが起きたとき、僕が、『主人のところへ帰らせてください』と言うと、」とある。僕と従者たち側からの「金銀の装身具や衣装~高価な品物」の豪華な贈り物に対して、リベカ側からは「酒食のもてなし」を差し出したと。互いの心のこもった贈与の交換であった。しかし、全く見知らない土地と人々には全幅の安心の出来ない危険があった。

 

一般的に言って、ありうるのは、客人側の自由裁量の自然発生的な制限が起こるということであった。従って主なる神が、僕に一種の危険を感じ取らせたのであろう。なぜなら彼は娘リベカを何としても、来たのと同じ道を、遠路はるばる連れて帰らねばならないという大きな義務を背負っていた。善は急げであった。「次の朝、みなが起きたとき、」間髪いれずに、「主人のところへ帰らせてください。」と帰還を申し入れた。

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牧 会 通 信

2017-09-18 22:21:11 | 大分中央ウィークリー

 

(原 光訳 2000年、沖積舎) 

ダンテの「神曲 地獄」編 18歌(カッコ内は筆子、その3)

◯この谷谷のある区域は、城壁を護るために幾重にも堀が城を取巻いてゐるところにそつくりで、

谷谷はあの堀堀さながらだつた。そんな城塞ではその入口から外堀の縁まで小橋が幾つもかかつてゐるが、

そのやうに岸壁の下から岩礁が伸びて、堤と堀を横切り、井戸に集まつて断切られてゐる。(前回ここまで)

◯この場所にヂェリオン(猛獣)の背から揺り落とされて、詩人は左手へ進み、わたしはひしとついていった。

  右手には新奇な悲惨と責苦、新奇な鞭打人が見え、第一の袋はそれでいつぱいだつた。

  底には裸の罪人たちがゐて、真中からこつちにはわたしらの顔に向つて来るもの、向うにはわたしらとともに

進むものがゐたが、歩みはより早かつた。 (つづく)

◯本日、9月17日(日)の日本聖書協会の聖書本文は箴言3・1~12で、その主題は「長寿の祝福」である。その7~8節「自分自身を知恵あるものと見るな。主を畏れ、悪を避けよ。」(8節)「そうすれば、あなたの筋肉は柔軟になり~」とある。この「筋肉は柔軟になり」の「筋肉」はこの言葉「シャラー」は文字通りには「へそ」である。旧約では3回しかない。エゼ16・4と雅歌7・3(口語2節)と。「へそ」を「健康にする」(「ラーファー」)では通じない。従って「筋肉は柔軟に」とは、「健康にする」との関係であまりにも乱暴である。口語訳は「あなたの(へそを)身を健やかかにし」と意訳。

写真は、9月11日に逝去された故中澤幸子(ゆきこ)姉の家族葬。遺族の二家族六名と牧師夫人と牧師を入て合計8名での葬儀。清楚な葬儀である

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