日本キリスト教会 大分中央教会

1517年、宗教改革による改革派信仰の伝統を引き継ぐ教会です。

プロテスタントとカトリック

2016-08-10 14:10:26 | 大分中央ウィークリー

五、「教会とわたしたち」(374)

近代から現代へ(宗教改革とその後)

はじめに近代への萌芽としてアウグスチヌス著「神の国」から引用(その15)

 8 人生の幸・不幸は良き者の上にも、悪しき者の上にも等しく降りかかる。

~同じように揺り動かされても、泥は悪臭を放ち、香油は芳香を放つのである。

 9 善人も悪人も等しく矯正のむちを忍ばなければならない理由はいろいろある。

(前回ここまで)

・・・・・ヨブの場合のように、正しい者が現世の禍いによって苦しめられる理由が、他にもある。人間の魂は試みを受け、それによって報いを望むことなしにでも

神を愛するだけの信心があることが、十分明らかにされなければならないからである。

10 この世の財貨を失っても、聖徒は何物をも失わない。

このように考えてみると、信仰を持ち神を知っている者には、転じて善とならないようないかなる禍いが起こり得るかを問うがよい。もちろん、使徒パウロが「神

を愛する者たちには、すべてが益となる」(ローマ8・28)と言っているのは、単なる空いばりだと考えるなら話は別であるが。彼らがかつて持っていたものを彼

らはすべて失ってしまったであろうか。彼らの信仰、彼らの宗教、あるいは神の前に富んでいる内なる人の宝を、彼らは失ったであろうか。これこそはキリスト

信者の真の財宝なのである。・・・・・戦火が収まったとき、多くの者は彼らの財貨を巧みに隠し、ついに敵の手に渡すことがなか~(つづく) (教団出版「神の

国」出村彰訳1968


聖書研究

2016-08-10 14:06:36 | 大分中央ウィークリー

創世記23章16節である。「アブラハムはこのエフロンの言葉を聞きいれ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。」という。高額であることを知っておりながら取引を成立させたアブはハムであった。この取引によって友好的な関係をしっかり築いておきたいという思いであったといってよい。

 

また、約37年前、このヘブロンのはるか南方、カデシュとシュルの間のネゲブ地方に移り住んだとき、その地を支配していたゲラルの王アビメレクに、「これはわたしの(事実、妹でもあったが、妻であることを隠して)妹です」といった(20・1~2)。その偽りが発覚したときに、アビメレクが神を畏れて、サラの返却のために「一千シケル」をアブラハムに贈った(20・16)ことも、神の配剤として覚える必要がある。

 

17節である。「こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、」という。これは、前節の「値段、銀四百シケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。」という取引内容、売買契約書の内容明記である。要するにアブラハムの所有となった物件である。「境界内に生えている木(複数)」は始めて出てくる付帯物件である。法的な内容としては、古代の族長時代のものとされている。現代の日本国民法と代わらない。

 

それは読者には、回りの情景の説明ともなっている。生えていた木々は、こんもりと包むように生い茂ったところのようである。「マムレ」は妻サラが死んだヘブロンから北に約5キロ、徒歩で一時間強ほんに近くである。18章1~15節によると、39年前3人の訪問者をうけ、サラに子が生まれるとのみ告げを受けたところでもある。


牧 会 通 信

2016-08-10 13:49:15 | 大分中央ウィークリー

ダンテの「神曲 地獄」編 第14歌(カッコ内は筆子、その6)   (原 光訳 2000年、沖積舎)

◯アレッサンドロ(大王マケドニア人、前356~323)はインドのあの酷熱の地域で、しぶとい火が自身の軍隊と砂土に降りかかるの見て、火はばらばらの内

の方が消しやすいので、地団太踏んで軍隊とともに砂土を踏みにじつたものだが、そのやうにきりのない火が降りしきつてゐたので、火打ち鉄(かね)の下の

火(ほ)口(くち)のやうに、砂は灼熱して苦痛を倍加してゐた。(前回ここまで)

◯ひつきりなしに降りかかる火を あちこちと払いのける、惨めな手の激しい跳(は)ね跳(と)び踊りは休むひまがなかつた。

  わたしは言つた、「師よ、あの門に入らうとしたわたしらを出て来て拒んだ、あの強情な悪鬼を除いたすべてのものに打勝つたものよ、

  この火も気にかけぬやうに見え、侮辱に歪(ゆが)んで横(よこた)はり、この雨にも熟し朽(く)たされぬやうに見える。あの大男は誰ですか?」(つづく)

 

◯本日は、2016年8月7日は第三十二主日、三位一体後第十一主日となる。日聖協「聖書愛読こよみ」は「時のしるし」という主題である。聖書はマタイ16・

1~4、その3節、「朝には『朝焼けで雲が低いから、今日は嵐だ』と言う。このように空模様を見分けることは知っているのに、時代のしるしは見ることができな

いのか。」と。これはイエスの素朴な批判であり、この世への痛烈な教えである。イエス・キリストの到来という決定的な時代のしるしをどうしても分ってほしい。

この世界は、罪からの救いの時代に入ったという現実を。これが福音である。

 

◯写真は、いまが夏の真っ最中。雨がなく日照りの日々が続き、畑には夏の野菜『オクラ』が良く実る。