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ラジオの思いで②ー娯楽放送

2016-10-06 11:30:17 | シニアの暮らし-過去と今と
 小学生ながらいわゆる大人の娯楽放送も聞きました。50年代ですから民放がひとつあったようですが、当時はもっぱらNHKでした。

 父が「お父さんはお人好し」のときは必ず家にいてじっと聞いていました。兄たちは聞いていなかなかったようですが、年齢的に内容の理解ができないはずのぼくは聞いていました。そこで「大阪弁」が耳にしました。そのため「大阪弁」は笑い芸と結びつき、ぼくの暮らしとは異世界の言葉でした。
 アチャコという芸名自体がふざけているようで、笑いの世界を理解できないのに離れられない、といった感じでした。「むちゃくちゃでございますわ」と時に発する言葉に面白さを感じていたようでした。
 公開生放送だったので会場の爆笑が聞こえるので、そこが面白さのツボであるようでしたが、ぼくは笑えるように理解力がなかったようでした。ときに普段笑いの少ない父が、声をわずかに出して笑うのに興味を持ちました。
 浪花千栄子の、たしなめたりかばったりする合いの手のような言葉がやさしさとのどかさを醸し出し、心地よかったと記憶しています。

 火曜日だったでしょうか「今週の明星」(53年~56年)という歌謡曲の番組はしっかり聞いていました。当時の歌手は声が良くて音楽の基礎、とくに歌唱を学んだ人が多かったようでした。歌を歌えることが、学校教育や庶民の暮らしだけでは無理なので、音楽大学や音楽専門学校を経た人が多かったようです。そのためクラッシックの歌曲を基本としてそれから派生したような歌い方が多かったと思っています。
 すぐ名前が浮かぶのは、藤山一郎、岡晴夫、霧島昇、伊藤久雄、林伊佐緒、三浦滉一、若山彰、ディックミナ、岡本敦郎、藤島恒夫、三橋美智也、春日八郎、淡谷のり子、大津美子、美空ひばりなどです。
 歌は、戦後すぐの世相を題材にしたもの、いわゆるホームソングといわれている自然を題材にしたものが多かったようです。
 ぼくは歌が好きだったので、この番組と毎日放送する「ラジオ歌謡」に耳を傾けていました。この放送は毎日短時間同じ創作曲を放送し、1週間ごとに曲を変えていました。ホームソングといわれている分野でしょうか、この曲は覚えようとして、聞いていました。
 50年代後半から歌謡曲が盛んになり橋幸夫、舟木一夫、フランク永井などがはやりましたが、ぼくは中学生になったらダークダックスといったコーラスグループやクラッシックへ関心が移っていきました。

 「三つの歌」(51年~70年)はときどきリラックスして聞きました。宮田輝アナのゆっくりと「ごきげんよう」といった山の手言葉が耳に残っています。
 今も続いている日曜昼の「のど自慢」もときどき聞きました。この番組を最も聞いたのは、20代後半にテレビで
ででした。

「話の泉」(46年~64年)「20の扉」(47年~60年)「とんち教室」(54年~ )は教養の内容をクイズ形式にし、アナウンサーの個性と出演者の語りが上品なユーモアを醸し出していました。

*50年代の歌謡曲をネットで検索したら、上記のぼくのすぐ浮かんできた人以外に、歌と声も記憶にある人に津村謙、近江敏郎、田畑義夫、高英男、江利チエミ、島倉千代子をすることができました。