長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
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講演「志士たちの寄せ書きのナゾ」面白かった!

2013年07月08日 | ★幕末維新の長州
7月7日、先日17年の歴史を閉じた、おおすみ歴史美術館で副館長を勤められていた江戸康尹さんの講演に行きました。

テーマは「志士たちの寄せ書きのナゾ」。

社所蔵のこの掛け軸、10名の寄せ書きになっています。



書かれた時期は江戸さんが複数の人の年譜を照合した結果、元治元年5月4日。場所は長州藩大坂蔵屋敷に間違いない。
わずか2ヶ月後、禁門の変で、この10名のうち
来島又兵衛 戦死(49)
久坂玄瑞 自刃(25)
寺島忠三郎 自刃(22)
廣田精一 自刃(25)宇都宮脱藩
中村円太 自刃(31)福岡脱藩
続いて11月に
宍戸左馬之助 保守派政権により処刑(61)長州藩大坂蔵屋敷頭人
と、6名もが世を去っています。
なんちゅー時代なんでしょうね…。


この書については、明治末年になって杉孫七郎が、鑑定…じゃないけど「あー、これは誰、これは誰」と証明してる添え書きも一緒に表装されています。(上の写真の下部)
「允武と執中はわからん」って書いてあるんですがw 前者は久坂の名乗りの一つ、後者は廣田精一
この久坂の名乗りについては、わかったのが今からやっと20年ほど前だそうですが。


久坂の詩はこれ。



独向春風 嘆逝川 山花如雪 柳如綿
挽回皇運在何日 頑悪蒙誅 既五年

 (読み下し)
 独り春風に向かい逝く川を嘆く
 山花は雪の如く柳は綿の如し
 皇運挽回あるはいずれの日か
 頑悪 誅を蒙りて既に五年

「頑悪」とは井伊直弼のことで「井伊が殺されてもう5年っちゅうのに、天皇の世になるのはいつのことなんじゃろうか」と。

前半は美しい風景を詠んでいるのですが、もしこの時期の前に「川」が付く名の同志が非業の死を遂げていたとして、その死を「春風=高杉晋作の諱」に向かって嘆いた・・・ってんだったら、すごく面白いなあ~と勝手に妄想しました。
だって、なぜ川に「行く」ではなく「逝く」って字を使ったんだろうなーとかさ。
いや、なんの根拠もない深読みであります。



江戸さんが「これは本物かと言われると、ちょっと不思議なのがここ」と言われたのは寺忠の名前。



「昌昭」のはずが「直昭」になっている。
「自分の名を間違えるというのも変ですしねー」と江戸さん。
諱は本名だから基本的に変えることはないのですが、たまに変えたり、何故か別のを名乗ったりするケースはあるので、寺忠も何か事情があったのかも。



江戸さんが「もしこれが偽物だったとしたら、それはそれでまた面白い」とおっしゃたのが、すごく面白かった。

そうですよね。
筆跡も変えて「いかにもその人が書きそうなこと」や「その人が作ったという記録のある歌」を調べてわざわざ書く。芸が細かすぎ。
でも、そこまで細かい芸で偽物を作るのなら、あんな目立つとこの署名の字を間違えるなんてありえないよね。


この頃、長州は京に入ることが許されなかった「朝敵」の時代だったので、藩士や長州を頼る脱藩浪士のたまり場はこの大坂蔵屋敷でした。
この日はこのメンバーに桂小五郎も加わって、京の情勢の情報交換をやったらしい。
そのあとおそらくは飲み会に…。
で、「皆でなんか書こうやあ」って流れだったのではないか。
で、何かやってた久坂が寄せ書きに出遅れて「えー。なんかいやー。わしが書くとこ、のうなっちょらーやー」と、はぶてながら端っこに書いたとw
は…寝落ちしちょったんですかね?


「寄せ書き」というのがとてもユニークで、しかもそのメンバーの大半が直後に亡くなってしまったという、感慨深い1枚。
江戸さん、面白いお話ありがとうございました。
(写真撮影も快くOKでした^^)




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