長州に棲む日日

[PC推奨]直参と萩藩士の子孫で長州在、でも幕府海軍・箱館海軍松岡磐吉大好き。
★最初に【まず必読】をご覧下さい

長州が、みょーに金持ってた理由

2009年08月17日 | ★幕末維新の長州
長州は関が原で破れ、防長二州に押し込められて、おっそろしく困窮しました。もんのすごい借金で
それでどんぐらいケチケチしてたかと言うと、「手紙は小さい字で書け、裏を返して行間にも書け」っていうくらい。
↑ホントです。「一寸の間に何文字以上書け」なんてやってます。

代々、藩主の大仕事は「財政改革」でした。
それで、ほとんどの藩が米経済だけで260年過ごしている中、長州は産業を起こして現金を獲得してました。

「毛利の三白政策」と言って、紙すきを奨励し、塩田を開発し、海を干拓(長州では「開作」と言う)して米を作り、これらを藩外に売ってました。さらにロウを加えて四白とも言います。
まあ、一藩を一国と考えると「貿易」であり「外貨獲得」です。塩なんて、防府の三田尻周辺で多く作られましたが、遠く蝦夷地にまで売られ、かの地では塩のことを「ミタジリ」と呼んでいたほど。お取り寄せの一品って感じ。

それで借金を清算しただけでなく、幕末には「公称36万石、実力は100万石」と言われる経済力をキープしてました。
だから朝廷工作もできたし、祇園島原に気前よくお金をまくこともできたし(いや、おまいら遊びすぎだから)、外国から洋式帆船や新型の兵器を買うこともできたわけです。

そういうことに慣れていたから、モノが重要な価値を持つことがあるってことも感覚でわかっていたし、新しいモノに対しても敏感だったのかもしれません。

攘夷真っ最中でさえ「長州ファイブ」を英国留学させて、かの地の産業(特に工業)を学ばせてるし、その後、攘夷主義を捨ててからは、外国商人からガンガン新型銃なんかを買ってます。

日本人をなめた商人は、欧米で旧式になった銃をうまく売りつけようとしましたが、長州はがっつり研究してて騙されなかったそうです

諸隊なんか、早くからミニエー銃持ってました。
ミニエーは「最新」ではないですが、ゲベール、ヤゲールに比べると飛躍的に操作性が良く、ライフル=施条 のせいで命中率も良く、弾が届く距離もずっと長いです。火縄銃と比べると、もう話にもならない違いです。


実は大田絵堂を書いてたら、話がそれてこの話になってしまったので、独立して先にアップしました
とほほ



バナーぽち&コメント、激しく嬉しいです。
にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へにほんブログ村
ジャンル:
ウェブログ
コメント (4)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 自分の言葉でブログを書く | トップ | どうも、国家主席ですw »
最近の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
(^^)b (baisho)
2010-09-04 21:53:32
ブログ、いつも楽しく拝見しております。
特に、松陰先生バスの記述、大笑いしました。
でも、ちゃんと「愛」がこもってますね。
お互い、長州を盛り上げるためにがんばりましょう。

トラックバック、ありがとうございました。
Unknown (内藤昶)
2010-09-06 23:17:24
私も楽しみにしてます!
また交流できたら嬉しいです。
(かなりあほじゃが…)
発見! (ナカムラカメラマンどす)
2010-11-02 11:53:11
見つけました!ヒエー本格的!ゆっくり拝見させていただきます。 
Unknown (内藤昶)
2010-11-03 11:04:21
ナカムラカメラマンさん?

どちら様でしょうか。知り合いの方??
ご訪問ありがとうございます。
知り合いでしたら正体教えてくださいw

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

関連するみんなの記事