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キリスト教の必然と、ダーウィンの偶然

2017-12-01 22:54:24 | 旧世界史11 18C後半~

金曜


偶然と必然の問題。

一神教世界では、一つの神によってすべてのものが決定されていく、という必然論の傾向が強まった。
しかしそれに対して、19世紀に登場したダーウィンの進化論は、突然変異という偶然によって、生物の進化が行われるとした。これは必然論を中心とするキリスト教のような一神教世界とは大きく違う発想であった。
ところがこのダーウィンの進化論は、偶然によって発生した突然変異が、その後の適者生存という考え方を持ち出すことによって、生存競争を正当化することにつながった。
そしてこの生存競争の論理が自由主義経済の原理になっていく。

このように考えると、自由主義経済つまり資本主義経済というのは、もともとは一神教世界の生んだ必然論とは対立する考えであった。
この点において、キリスト教という一神教社会がその必然論によって、自由主義経済つまり資本主義経済をもたらしたというのは、考え方に矛盾がある。
自由主義経済は、今述べたように、一神教世界の必然論に対するアンチテーゼとして、偶然という概念を持ち出したために、発生したものである。

1.一つの問題点として、偶然によって生まれた突然変異が、なぜ適者生存の考えかたを生んで、それが生存競争を正当化することになっていくのか、という論理的問題がある。

2.もう一つの問題は、キリスト教という一神教社会が資本主義を生んだ、という考え方に対する矛盾である。資本主義社会はキリスト教的な必然論によって生まれたのではなく、それと対立する偶然の重要性を指摘したダーウィンよって生まれたものである。

3.さらにもう一つの問題は、このダーウィンの考え方がそもそもの始まりではなく、それ以前にキリスト教のプロテスタティズムによって自由主義経済が正当化されていったのではないか、という考え方がある。プロテスタンティズムの予定説が職業招命観を生み、プロテスタントの勤勉な労働を生んでいったという古典的なマックス・ウェーバーの考え方がある。

4.さらにその考え方ですら実は後付けの理由であって、本当は富を蓄えた1部の人たちによって富の蓄積を正当化するためにプロテスタンティズムが利用された、というゾンバルトの考え方がある。

5.だとすれば、富を蓄えた1部の人たちによってその富の蓄積を後付けの理由で正当化したのがプロテスタンティズムであり、さらにそれを後付けの理由で正当化するために利用されたのがダーウィンの進化論であったと、いう考え方もできる。


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