ひょう吉の疑問

新聞・テレビ報道は何かおかしい

供給不足から供給過剰な世界へ

2017-05-13 06:48:13 | 国際金融

土曜日

昔は、物がなくて貧しかった。
今は、物があってもみんな貧しい。

物がない時代の貧しさと、物があふれている時代の貧しさの違いは何なのか。
今は、つくる力は格段に進歩した。
物の供給力は飛躍的に増大した。
進歩していないのは購買力である。
これは技術の問題ではなく、政治の問題である。

企業のつくる力は増えても、国民がそれを買う力がない。
そして政治は、企業の競争力の話ばかりしている(○中平蔵がよくやっていたように)。
しかし問題はそんなところにはない。
いくらつくっても、物が売れないのだ。

低金利は企業に有利だが、預金者である国民には不利である。国民の資産は増えるどころか、目減りしている。いくら預金しても金利がつかない。資産は増えない。
昔は100万円を10年預けていれば、100万円近い利息が付いた。
今は1万円の利息も付かない。その分国民は貧しくなっている。
しかも法人税は下がって、消費税は上がっている。所得税も上がっている。
国民は富を吸い取られるばかりだ。
これ以上国民から資金を吸い取れば、ますます物は売れなくなる。
だから物はあっても、それが売れない。
それは不思議がることではない。

富の配分は技術の問題ではなく、政治の問題である。

今、株を上げているのは国民ではない。企業やヘッジファンドなどの法人が株を買っているだけだ。
企業と結べば株は上がる。そして見せかけの好景気をつくることができる。それがアベノミクスだ。

企業は、国内で物が売れないから、海外に出て行こうとする。
国は外国企業を呼び込もうとますます法人税を引き下げる。
そして法人税を引き下げた分、国民から税金を取ろうとする。
税金を吸い取られた国民はますます物が買えなくなる。
つまり悪循環だ。

企業が競争し、国が競争した結果、国民が犠牲になる。

企業が競争した結果、物の値段は下がるが、生き残った一社だけが市場を独占する。
企業は富を配分しない。富を吸い取るだけだ。

自由競争と共存共栄は、自然界では当たり前のことだ。
多くの動植物はこのことを両立させている。
自由競争と共存共栄は、対立概念ではない。一つのことの表と裏である。
しかし人間だけがそれができない。

作って、売る。多くの企業がそこで止まっている。
売るためには買う人がいなければならない。そのことが忘れられている。
そのためには国民が豊かでなければならない。
買う人がいなければ物は売れない。

しかし不労所得は働かない人を生むだけだ。
働いて豊かになる社会でなければならない。
これに政治が失敗している。

今はいくらでも物は作れる。

安定した雇用と、安定した賃金さえあれば、購買力はもっと増える。
しかし企業はそのための種を蒔かずに、すぐに外に出て行く。海外に。
それを政治が後押ししている。
それがグローバリズム。
その筆頭が金融界。

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