ひょうきちの疑問

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もの悲しくて力強い津軽三味線のルーツ

2017-08-20 03:02:51 | 歴史

日曜日

津軽三味線は独特な音楽である。
高橋竹山は、『三味線を弾く』のではなく『三味線を叩く』といったそうだ。
叩き三味線ともいわれる。
しかしその旋律はどこかもの悲しい。
それでいて力強い。
私はこの力強さがなんなのか、長いこと分からなかった。
もの悲しくて力強い音楽、というのを聞いたことがなかった。

高橋竹山は半盲目の津軽三味線奏者である。(亡くなってもう20年になる)
若い頃は家々を門付けして歩いた。
私が子供の頃はそういう人たちがよく私の家にも門付けしに来ていた。
母は米櫃から升で米をすくうと、彼らの米袋の中にそれを入れていた。
それが謝礼であった。
ありがたくもあり、ありがたくもなし……
村人が彼らを見る目は異界を見る目だった。

私が津軽三味線のルーツが瞽女(ごぜ)唄にあることを知ったのはかなり後のことである。
瞽女とは旅に暮らす盲目の女性芸能者である。


最後の瞽女 小林ハル 津軽三味線の源流 The Last Goze, a blind female strolling musician,Kobayashi Haru



運命に立ち向かうとはどういうことなのか。
盲目という瞽女の運命は、敗戦という運命を背負った日本人の姿に重なる。
バブル崩壊後の日本人は、目をふさがれたまま、心の目で本物を見ようとする気概を失った。
戦前の日本を知っている日本人はほぼこの時期、社会の第一線を退いた。
あとに残るのは我々戦後育ちの人間ばかりである。
日本人が誇りを持って生き、誇りを持って死ぬとはどういうことなんだろう。
『日本人が死ぬというのはこういうことなんだ』といった、篠田正浩(映画「はなれ瞽女おりん」の監督)の言葉が胸に残る。