「憂鬱な朝」日高ショーコ先生

日高ショーコ作 「憂鬱な朝」に惑溺して抜け出せなくなったblog。

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その26 福田楼 -「憂鬱な朝」 日高ショーコ先生-

2017-03-08 01:29:31 | 憂鬱な朝
ご来訪いただきありがとうございます。

今回は、前回の記事で名前が出た新橋の料亭「福田楼」について。

以下、ネタバレ含みます。(既刊7巻まで)
なお、年齢は、作品内の数え方をそのまま採用しています。

以降、よろしくお付き合いください。

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新橋の「福田楼」と言えば、智之の母の知津が芸者として生きてきた場所です。
知津は当代一の美人芸者として有名でした。

知津が母であると知った後でも、どうやら智之は福田楼に通っていたようです。(前回記事より)
久世直弥の妾になるまでの母は福田楼のお座敷に上がる芸者であったこと。智之はそれを承知しながら福田楼を訪れていることになります。
智之の胸中はどのようなものだったのでしょうか。

そもそも、通ったきっかけは?
暁直様がそれほどお座敷遊びをしていたとは思えませんので、それ以外の線だと思われます。
もしかすると、福田楼を訪れたきっかけは、母の過去を調査するためだったのかもしれません。
ぼっちでお茶屋に来ている?という疑惑も、それならば納得がいきます。

智之は美人で評判だった母知津に顔がそっくりでした。
30年前のこととはいえ、知津のことを憶えている者もいるでしょう。
当然、福田楼を始め新橋のお茶屋の人間の中には、智之を見て知津と結びつける者もいたと思います。

この業界の人間はとにかく「口が堅い」ものです。
智之が口止めをせずとも、滅多なことは漏らさないと思われます。
(漏れるとしたらお客同士の噂話から)
しかし、念には念を入れてと智之が考えてもおかしくありません。
同伴者から真実が広まらないよう、万全の注意を払っていた可能性があります。

忘れてならないのが、久世直弥は福田楼に訪れたことはないという事実です。
その後の物語の展開から、直弥と知津の仲は世間には極秘であったと推測できます。
知津が直弥の妾になったことを世間は知らず、知津はおそらく桂木高正に身請されたことになっていたのではないでしょうか。
だから福田楼の人間がのちに智之の存在を知ったとしても、誰も直弥との関係を連想しなかった。
智之は桂木家の三男であるわけですし。

知津、直弥、高正、桂木祖父、高之、智之、暁直様、暁人様…という過去と現在の「福田楼」でのニアミス。

暁直様もそうですが、桂木高之も浩之もあまりお座敷遊びをしていないようですね。
智之は福田楼に度々通っていたわけですから、もし仮に桂木高之が祖父の代からの馴染みとして福田楼に通っていたならば、もっと早く智之の母親のことが露見する恐れがあったわけです。
高之がお堅くて良かった。
そういえば、愛妻家という点で高之は暁直様に似ているな。
冗談が通じなさそうなところもちょっと似ています。
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