元マンガオタク。

大人になって、再度マンガにはまり気味。

ネタバレ■さよならソルシエ

2016-10-17 01:00:53 | 穂積
さよならソルシエ(全2巻)

◼︎画家ゴッホを描いた作品で、主役はフィンセント・ファン・ゴッホの弟、テオドルス・ファン・ゴッホ。
フィンセントの絵画が自身そのものであるテオ。その絵画を世に出し後世まで残すため、兄の死後、彼の人生を再構築するーーー。


◇どうですか、このネタバレせずにラストまで語るあおり文句!(苦笑)
以下、色々書きすぎて長くなりました…


◇史実の最小限をネタにしたフィクションです。
ネットで検索してみると絶賛と酷評があって、絶賛評は、作者の穂積さんの(まだ新人さんらしいのに)玄人感&どんでん返しバンザイといったところ。
評価の悪い中ではさらにまっぷたつ。史実をねじ曲げすぎだというものと、後半の畳み方が悪いというもの。
史実をネタにした創作に対して事実の割合を議論する意味はないので、前者の評価はナンセンスだと思う。史実と言われていることが事実かどうか、現在いる私たちは誰も見ていないんだし。
後者の畳み方が今ひとつなのは、確かに!広げた風呂敷を、サササっと片付けられてしまったというか…もうひと息、広げ切ってほしかったというか。そしたら、どんでん返しが更に鮮やかに決まったんじゃないかと思いました。

ではネタバレ。


絵を描くのが好きだったテオは、幼少のころ兄フィンセントの描いた絵に才能(神からのギフト)を感じ、自分は絵描きを諦めて画商となる。

テオは画商としての才覚を現していたが、保守的なパリ画壇に対し「この世界にはもっと鮮やかな 新しい才能と芸術が存在する」と、高い階級に媚びを売るのではない、民衆の中から興る新しい芸術をスタートさせようとしていた。
その新しい芸術の青写真こそが、兄であり、テオに絵描きの道を断念せしめたフィンセントなのだった。

怒りの感情を持たない天真爛漫なフィンセントは、世の中の全てに美しさを感じて素晴らしい絵を描く。しかし、テオはフィンセントに欠如している怒りこそ、その才能を本物にするものと考え、自分の命を危険にさらしてフィンセントをけしかけた。
フィンセントはテオの思惑通りに覚醒したが、自分の宿命が絵を描き続けることなら、その絵を世に出すことがテオの宿命だと言い、宿命を背負ってこなかった昨日までの自分は死んだとピストルで左耳を撃ち飛ばした。

それから3年、フィンセントはフランス中を旅して700点もの絵を描いた。そして個展の前日、フィンセントは偶然鉢合わせた物盗りに殺害されてしまう。
テオは、自分がフィンセントを画家にしようとしなければこんなことにはならなかった、兄を殺したのは自分だと悲しみにくれるが、「神様が僕に与えてくれた本当のギフトは 君だった」というフィンセントからの手紙で思い出す。
フィンセントの絵を世に出すのが、自分の宿命なのだと。

そのためにテオは動き出す。
戯曲家にフィンセントの絵画を見せ、天才画家が歩むべき悲劇的で情熱的な人生のシナリオを作らせた。

生まれたときから愛情を受けられず、それゆえ愛し方もわからず、人を求めるほどにどんどん孤独になっていった先で、唯一彼を受け入れてくれた絵画に没頭するフィンセント。絵画を通して自分を認めてくれたゴーギャンとのわずかな蜜月、そしてすぐに訪れた別れ。絶望したフィンセントは自分の左耳を切る。最期は精神を病み、自ら命を絶ったーーー。

フィンセントの実像とあまりにもかけ離れたシナリオに、この計画を聞かされた画家ロートレックは戸惑うが、『こんな酷い人生を歩んだ男の描いた絵を見てみたい』と民衆は思うだろうとテオの計画に乗り、テオはゴーギャンまで「フィンセント・ファン・ゴッホ」を後世に伝えるための共犯者にした。

こうして作られたフィンセントの人生に、人々は興味を持ち、展覧会に足を運び、そのショッキングなシナリオを忘れるほどフィンセントの絵に圧倒された。フィンセントの絵はテオの言ったとおり、パリの人間を虜にした。
そして、テオは「弟テオドルスは兄を追うようにすぐ死ぬべきだ」と言い残し、フィンセントの人生の仕上げをすべく、姿を消す。

フィンセントの墓の隣には、弟テオドルスの墓が並んでいるーーー。



ソルシエとは、魔法使いの意味です。
絵を買いに来る客を見透し、素人の絵を売りさばき、新鋭画家の風を民衆に起こし、保守的なパリ画壇に亀裂を入れ、天才画家の魂に火をつける。そして、フィンセントの人生をまるごとひっくり返し、世界に彼を知らしめる。
まるで魔法使いのように。

全話通してテオのソルシエぶりを見せつけられているので、ゴーギャンまでどうやって巻き込んだんだよ!っていう点も、テオならあの調子でやるんだろうなと納得してしまう。

フィンセント像を捏造するどんでん返しがあった上で、最後にも小どんでん返し(?)がありますがそこのネタバレは書いてませんので、読んでみてください。


もう一歩!と思った点をいくつか。
先に言い訳しますが、酷評を見た上でも私はこの作品は十分素晴らしいと思っています。
だからこそ欲が出てもう一歩と思ってしまうだけで、ダメ出しをしているつもりはないのです。

①テオとフィンセント以外が、モブだった点。
テオに嫌がらせしてたジェロームが結局単なる嫌なやつで、兄弟喧嘩の最中もほぼ空気だった。
ロートレックがテオの小間使いみたいで、画家としてのその後を想像できなかった。
戯曲家ジャン・サントロが、突然出てきて重要な役割を担っちゃった。
この3人は、もうちょい深く掘り下げたかった!
ジェロームにも彼の芸術と信念が(たとえ保守的だとしても)あっただろう。新旧の勢力争いは芸術に限らずあるし、旧勢力が必ずしも悪なわけではない。ジェロームの正しさもあるはず。そこの拮抗が描かれなかったから、フィンセントの覚醒シーンはただの兄弟喧嘩での出来事になり、ジェロームが浅いまま終わってしまった。
ロートレックはテオの子分ではないし、芸術の行く先を想いテオの計画に乗る思想的な土壌の描写がほしかった。
サントロは戯曲家としてくすぶっていた描写が事前に織り込まれ、テオが彼にシナリオを依頼した必然性があると感じられると深みが出たんじゃないかと思う。
全てがテオの魔法によるのでなく、時代の大きな流れの中で、テオが手腕を発揮したというストーリーだとなおよかったんじゃないかなぁ。

②コマ割り
コマ割りはマンガの流れを作るものだと思う。シーンによっては、もっと大胆なコマ割りで勢いがほしいなーと思いました。
例えば、テオがフィンセントに対してカーテン越しに憤りを露わにしたシーン。「考えろ!」と連呼した1ページぶち抜きにフィンセントの表情をコマでかぶせるとか、どうでしょう。
好みの問題なんだろうけど…
でも最終話のコマ割りは良かったなぁと思う。

③どんでん返し
これは完全に私の妄想ですが…
どうせなら「テオドルス」「フィンセント」のファーストネームだけで話を進めて、どんでん返しで初めて「フィンセント・ファン・ゴッホ」のことでしたって分かるようになってたら、すごくない?
私がゴッホについて全然詳しくないだけで、知ってる人が見たら「フィンセント」と「テオドルス」なんてモロバレじゃん!って感じか…。


好き勝手書いてしまいましたが。
もしも青年誌での連載だったら、編集さんに揉まれてもっとすごい作品になっていたであろうと思うと、欲がたくさん出てきてしまいました。

最後にどうでもいいかもですが、2巻の裏表紙のテオ、「この話は内緒」って言ってるようで、このときばかりは「はい、テオ様!」ってなるよね(乙女)。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿