考へる足(じゅん日記)

我踊る 故に我有り

「不二越」という会社

2017年07月14日 14時53分08秒 | Weblog

チュース!

 

ネットで調べると、社名「不二越」の由来について、

 

不二は、仏典で「善悪不二、邪正一如」から採り、越は、北陸の古い呼称「高志」を意味します。

 

とあり、商標のNACHIについては、

 

熊野の那智大社に由来。昭和天皇のお召艦である最新鋭の国産巡洋艦「那智」の艦形をバックにして、NACHIマークをつくり、商標とした。

 

とあります。

        関連画像

 

 

工作機械メーカー・不二越(本社工場・富山市)は、太平洋戦争中、軍需工場として発展した企業です。

太平洋戦争末期、不二越は、労働力不足を朝鮮からの強制連行労働者で補いました。朝鮮は当時日本の植民地支配下にあり、「女子勤労挺身隊1,090人、男子報国隊540人、合計1,630人」(不二越社史による)が不二越に強制連行され、強制労働させられました。

 

そして、不二越が軍需産業だった、それゆえに、富山はアメリカ軍の爆撃の標的とされました。

師団本部のある金沢は、最初から米軍の爆撃目標から外されていた、とのことです。

 

米軍の機密文書によれば、石川県は、金沢が第九師団がある軍都でありながら、爆撃目標は、国鉄松任工場と、七尾港の2ヶ所だけ。

それに対し富山県は、不二越本社工場、 日満アルミニウム富山工場など、工場8ヶ所、港湾3ヶ所、水力発電所10ヶ所、変電所1ヶ所の計22ヶ所もあった。

 

昭和20年8月2日未明、富山の街はB29の空襲に遭い、灰燼に帰しました。

 

  sts

富山大空襲(とやまだいくうしゅう)は、1945年(昭和20年)8月1日から8月2日にかけてアメリカ軍が富山県富山市に対して行った空襲。当時の市街地の99.5%を焼失し、広島、長崎への原子爆弾投下を除く地方都市への空襲としては最も被害が大きかった(ウイキペディア)

 「富山大空襲」の画像検索結果

 

終戦後、復員してきた父が富山駅前に佇むと…

 

「廃墟の中に電気ビルと大和デパートだけがそびえ立っていた、それが印象的だった」

 

と、言ってましたな(゚д゚)(。_。)ウン

 

毎年8月1日夜に、空襲による死者を悼んで、神通川で花火が打ち上げられます。

 

                関連画像

 

もうすぐあの8月1日の夜がやってきます。

 

  「神通川花火」の画像検索結果

 

再見!!!チャオ(^.^)/~~~またね~( ´Д`)ノ~バイバイお気軽にコメント、どぞっ_(._.)_

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