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竹富島 【7】

2017年07月01日 00時02分55秒 | 日記

  西塘 <3>

西塘に関する資料は乏しく文献資料として

八重山島由来記(1713年)・琉球国由来記(1731年)

球陽(1743年)などがあるが

 

この文献資料を通して、沖縄の歴史学の先生方により

西塘の生涯・事跡が多く残されているが

 

元が同じ史料であるから

若干の差はあるがほぼ同じ記述である

 

西塘は、いつ生まれ、どこに生まれ、いつ死んだか

両親は誰か、兄弟はいたのか、結婚はしていたのか

西塘に関する記録は少なく上記の史料のみである

 

しかし、八重山の竹富大首里大屋子として帰郷し

行政機構を整備し新たな政治を行い

 

八重山を統一安定させ八重山の政治の基礎を造ったとされ

農業の改革を指導し日時計、時報の鐘の設置する

 

また西塘は愛郷家といわれ

竹富島を想って作った歌、しきた盆(ぶん)がある

 

島の人々の心を一つにする歌として

島最大の祭り種子取り祭りの奉納芸能として

現在も行われている

 

西塘最大の功績は、園比屋武御嶽の神を勧請(分霊)して

八重山で唯一琉球王府につながる

国仲御嶽を創建したことであると言われる

 

1550年に西塘は55歳で逝去し彼の屋敷跡に埋葬された

その地に功績を讃えて「西塘御嶽」を創建した

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