人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

今帰仁 【2】

2015年10月20日 00時02分30秒 | 日記

 今帰仁 <2>

今帰仁は(なちじん)は

両親が生まれ育ったムラである

私は大阪で生まれ5歳の時に両親のシマ 今泊まりに

家族とともに引き揚げてきた


当時は合併前で親泊(えーるまい)と言っていた

私は、小中校と親泊で育った...故郷である


そのころは電気も水道も家に無い時代であったが

海や山や川が流れ田園風景があり

自然豊かな森を保有する

美しい景観のある故郷であった


今でもシマを誇りと愛着を持っている

その頃は昔ながらの、神事、祭祀

祭りなど古式豊かに行われていた


沖縄本島北部を山原(やんばる)と呼ばれていたが

明治41年に北山の領域であった山原を国頭郡と言い

間切を村(そん)ムラ、シマを字(あざ)と呼ぶようになる


私達の年代は今でもふるさと今泊をシマと呼び

公民館をムラと呼んでいる


今帰仁を紹介するにあたり村(そん)を間切

字(あざ)をムラ、シマとし地名を方言読みで紹介する

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3 コメント

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Unknown (江洲 順治)
2016-05-24 01:30:50
大変興味深く、ブログを拝見させていだきました。
私は現在、自分のルーツを探しており、今は無き、親泊ムラに関係しているとのことで、親泊ムラを探しているのですが、親泊ムラの情報がなく、途方に暮れていたところでこのブログにたどり着きました。
親泊ノロ殿内(仲宗根屋)を探しているのですが、何か情報をお持ちではないでしょうか?

もし、可能であればご連絡をいただければと思います。宜しくお願いします。
takaesu@karisara.co.jp
お尋ねの件 (高江洲さんへ)
2016-05-26 17:04:46
ブログ訪問、コメント有難う御座います。
お尋ねの件ですが、親泊ノロ殿内という名は初めてです
高江洲さんも、ご存じかと思いますが。
今泊には、三人のノロが存在していました。
今帰仁阿応理屋恵ノロは高級神女三十三君の一人今帰仁阿応理屋恵ノロで、王家となんらかの血縁関係にあったと考えられています。
今帰仁阿応理屋恵ノロ殿内の屋敷跡は今も現存しオーレ御殿といっています。

今帰仁ノロは400年以上続いてきた、中尾次ノロ殿内で中尾次さんが代理ノロとして現在も祭祀を執り行っています。
中尾次家は、中昔北山時代の今帰仁按司の子孫といわれています。

供のカネノロは、昭和初期まで城間家が務めていたというが?、資料がほとんどなく分からないのが実情です。

高江洲さんが望みの情報が提供出来なくて残念です。
それから、仲宗根姓は今泊で二番目に多い、22件在ります。
Unknown (髙江洲 順治)
2016-06-17 23:53:35
ご連絡ありがとうございます。
親泊ノロ殿内があったのはすごく昔のことなのかもしれないですね。ありがとうございます。
また、三人のノロの情報までありがとうございます。
参考になります。
また、色々と教えていただければと思いますので宜しくお願いします。

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