「国境なんて簡単に越えられる。」
そういうことがわかってしまった。
パスポートと多少のお金があれば、それでいい。
ん〜・・・、いや、パスポートなんていらないか。
お金なんて必要ないな。
ここにいたって、国境は越えられる。
国境なんて飛び越せる。
国と国の堺を越えるのなんて、国家を越えて誰かとつながるのなんて、きっと簡単なことだ。
ここにいて、いろんなことを思い出して、いろんな情報を得て、あとは想像力を働かせればいい。
そう、実感している。
「国境なんて、もう簡単に越えられる!」
まあ、そんなふうに肉体そのもので実感できたのも、実際にあっちこっち行ったからだろうから、あの時間とお金も無駄じゃなかった、ってことにしよう。
たくさんかけた迷惑も、これから還元していきますから!!
だから、しばらくは忙しい。
“ここ”でやらなきゃならないことがある。
で、また思いをめぐらす。
「え?世界はつながってる?」
「そうだよ。」
「(遠い場所に住む)キミとボクも、この空でつながっているんだよ」
そうだね。
確かにそれは紛れもない事実。
そして、感情や思いを表す比喩的表現としても嫌いじゃない。
・・・けど、今はそんなロマンチストじゃいられない。
まず、「キミとボクは、“経済”でつながっている」っていうことの方がシビアに向き合うべき現実だ、と思ってしまう。
否応なく、現実の世界は、お金ですべてをつなげているのだから。
「僕らは、今この瞬間も、お金でつながらされちゃってる!」
そのことを自覚していたい。
そして、明日、明後日、一週間後、1ヶ月後、1年後、10年後、50年後、100年後・・・と、「世界は続いていく」。
今日の僕らの生活が、100年後の誰かの生活にかかわっている。
ちょっとイメージしづらいけど、それらは紛れもない現実。
あったり前のことだろ?って思われるかもしれないけど、まともに考えたら、こりゃあ、相当シビアな現実だよ。
貧困や飢餓は減ることなく、富はますます一部に集中し、貧国とされる国の政治家は先進国と結託して民衆を愚弄し、戦火は消えることなく今日もクラスター爆弾が飛ぶ。
森林はなぎ倒され、マングローブの森はエビの養殖地と化し、エネルギー消費は減少せず、砂漠が広がる一方で飽食の土地では過剰な栄養によって生態系が歪み、世界中で水と物質の偏りが大きくなるばかり・・・。
僕らのフツーの日々は、気づかないうちに誰かの痛みや屍の上にある。
その現実を知ればこそ、募金したり海外支援したりボランティアに励むよりも、まずすべきことがあるだろう、と今ならわかる。
重要なのは、今日の僕の生活だ。
僕が何を喰うか。
僕が何を買うか。
僕が何を着るか。
僕が何を創るか。
僕が今日をどう過ごすか。
それがすべてだ。
それこそが、ダッカやアジスアベバやゴロモンジやパレスチナやサンペドロアタカマの友人たちの未来を明るくしうる可能性を持つ。
僕らが僕らのフツーの日々を再構築することが、中央アジアの砂漠化を食い止め得る。
(言わずもがなだけど、ここで言う「僕」は、今これを書いている「僕」である必要はない。「自分」なんかにこだわる必要はない。誰だっていいんだ)
「世界を変え得る」のはやっぱり、今日の「僕」「私」の飯であり、今日の「僕」「私」の金の使い道。
そして、「世界を壊し得る」のもまた、飯であり、金の使い道なんだな。
何度だって繰り返して、この身体と心に染み込ませたい。
「寄り道も道草もない。いつだって僕らは“途中”だし、いつまでも今日は昨日の“続き”にある」
「今日が明日につながっていく」
「全部がつながってる。何もかも、かかわりあって存在してる」
「地球の裏側に生きる何億もの人々も。僕の身体に宿る何兆もの菌も」
あらためて、ネイティヴアメリカンの人々の、7世代先の影響まで考える世界観に敬意をもつ。
“カムイ”を感じとるアイヌの人々の感性に敬意をもつ。
うーん。やっぱりすごいや。
でも、このノーミソや感性だって、ちゃんと進化し、覚醒し続けてる。
脳細胞は腐っちゃいない。
手も足も、胃袋も、まだまだ(それなりに)動く。
これらをちゃんと役立てなきゃな。
わかったよ。
指針にすべきは、「共生」と「持続可能性」だね。
“世界の現実”は歪で痛々しくて歯がゆくて悔しい。けど、ホントの世界はたぶん、僕らが思ってるよりずっと広くて深くて複雑で、おもしろい!
世界は変わっていく!
持つべきものはきっと、Sence of WONDER!
・・・・そして僕は、創作団だいだらぼっち(仮名)の一員となった。
まだまだ世界は続くのだ!
そういうことがわかってしまった。
パスポートと多少のお金があれば、それでいい。
ん〜・・・、いや、パスポートなんていらないか。
お金なんて必要ないな。
ここにいたって、国境は越えられる。
国境なんて飛び越せる。
国と国の堺を越えるのなんて、国家を越えて誰かとつながるのなんて、きっと簡単なことだ。
ここにいて、いろんなことを思い出して、いろんな情報を得て、あとは想像力を働かせればいい。
そう、実感している。
「国境なんて、もう簡単に越えられる!」
まあ、そんなふうに肉体そのもので実感できたのも、実際にあっちこっち行ったからだろうから、あの時間とお金も無駄じゃなかった、ってことにしよう。
たくさんかけた迷惑も、これから還元していきますから!!
だから、しばらくは忙しい。
“ここ”でやらなきゃならないことがある。
で、また思いをめぐらす。
「え?世界はつながってる?」
「そうだよ。」
「(遠い場所に住む)キミとボクも、この空でつながっているんだよ」
そうだね。
確かにそれは紛れもない事実。
そして、感情や思いを表す比喩的表現としても嫌いじゃない。
・・・けど、今はそんなロマンチストじゃいられない。
まず、「キミとボクは、“経済”でつながっている」っていうことの方がシビアに向き合うべき現実だ、と思ってしまう。
否応なく、現実の世界は、お金ですべてをつなげているのだから。
「僕らは、今この瞬間も、お金でつながらされちゃってる!」
そのことを自覚していたい。
そして、明日、明後日、一週間後、1ヶ月後、1年後、10年後、50年後、100年後・・・と、「世界は続いていく」。
今日の僕らの生活が、100年後の誰かの生活にかかわっている。
ちょっとイメージしづらいけど、それらは紛れもない現実。
あったり前のことだろ?って思われるかもしれないけど、まともに考えたら、こりゃあ、相当シビアな現実だよ。
貧困や飢餓は減ることなく、富はますます一部に集中し、貧国とされる国の政治家は先進国と結託して民衆を愚弄し、戦火は消えることなく今日もクラスター爆弾が飛ぶ。
森林はなぎ倒され、マングローブの森はエビの養殖地と化し、エネルギー消費は減少せず、砂漠が広がる一方で飽食の土地では過剰な栄養によって生態系が歪み、世界中で水と物質の偏りが大きくなるばかり・・・。
僕らのフツーの日々は、気づかないうちに誰かの痛みや屍の上にある。
その現実を知ればこそ、募金したり海外支援したりボランティアに励むよりも、まずすべきことがあるだろう、と今ならわかる。
重要なのは、今日の僕の生活だ。
僕が何を喰うか。
僕が何を買うか。
僕が何を着るか。
僕が何を創るか。
僕が今日をどう過ごすか。
それがすべてだ。
それこそが、ダッカやアジスアベバやゴロモンジやパレスチナやサンペドロアタカマの友人たちの未来を明るくしうる可能性を持つ。
僕らが僕らのフツーの日々を再構築することが、中央アジアの砂漠化を食い止め得る。
(言わずもがなだけど、ここで言う「僕」は、今これを書いている「僕」である必要はない。「自分」なんかにこだわる必要はない。誰だっていいんだ)
「世界を変え得る」のはやっぱり、今日の「僕」「私」の飯であり、今日の「僕」「私」の金の使い道。
そして、「世界を壊し得る」のもまた、飯であり、金の使い道なんだな。
何度だって繰り返して、この身体と心に染み込ませたい。
「寄り道も道草もない。いつだって僕らは“途中”だし、いつまでも今日は昨日の“続き”にある」
「今日が明日につながっていく」
「全部がつながってる。何もかも、かかわりあって存在してる」
「地球の裏側に生きる何億もの人々も。僕の身体に宿る何兆もの菌も」
あらためて、ネイティヴアメリカンの人々の、7世代先の影響まで考える世界観に敬意をもつ。
“カムイ”を感じとるアイヌの人々の感性に敬意をもつ。
うーん。やっぱりすごいや。
でも、このノーミソや感性だって、ちゃんと進化し、覚醒し続けてる。
脳細胞は腐っちゃいない。
手も足も、胃袋も、まだまだ(それなりに)動く。
これらをちゃんと役立てなきゃな。
わかったよ。
指針にすべきは、「共生」と「持続可能性」だね。
“世界の現実”は歪で痛々しくて歯がゆくて悔しい。けど、ホントの世界はたぶん、僕らが思ってるよりずっと広くて深くて複雑で、おもしろい!
世界は変わっていく!
持つべきものはきっと、Sence of WONDER!
・・・・そして僕は、創作団だいだらぼっち(仮名)の一員となった。
まだまだ世界は続くのだ!
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