本能寺の変 「明智憲三郎的世界 天下布文!」

『本能寺の変 431年目の真実』著者の公式ブログです。
通説・俗説・虚説に惑わされない「真実」の世界を探究します。

本能寺の変:あなたも土岐氏では?

2016年11月22日 | 歴史捜査レポート
 2016年11月21日のTBS「7時に会いましょう」で「クリス・ペプラーさんは明智光秀の子孫?」が放送されて「土岐氏」への関心が高まりましたので、2014年2月20日の記事を再掲いたします。
 >>> 「クリス・ペプラーさんは明智光秀の子孫?」の歴史捜査
【2014年2月20日記事】
 明智光秀謀反に深いかかわりのあった土岐氏は桔梗紋を家紋とする結束力の強い一族でした。足利尊氏・義詮を支える大名として権勢を誇り、濃尾平野一円に拡大して住みついた土地の名前を名字とする「百家」へ分派しました。
 その後、没落して歴史の表舞台から消えた土岐氏ですが、年1回「土岐氏の集い」を開催しています。あなたも土岐氏ではありませんか?家紋(写真)と名字(下記)を確認してみてください。なお、家紋は丸が付いたものなど変形がありえます。 

【土岐氏分派の名字と発祥地】
谷口研語著『美濃・土岐一族』(新人物往来社)
(注)岐阜県は県名を省略

饗庭氏 :揖斐郡大野町相羽
相原氏 :益田群金山町岩瀬
浅野氏 :土岐市肥田町浅野
蘆敷氏 :岐阜市安食
麻生氏 :揖斐郡大野町麻生
麻生氏 :加茂郡七宗町上麻生・加茂郡川辺町下麻生
荒川氏 :大垣市荒川町        
石谷氏 :岐阜市石谷
西池田氏:揖斐郡池田町
一色氏 :岐阜市長森一色
市原氏 :瑞浪市土岐町市原
乾氏  :山県市美山町乾
稲木氏 :愛知県江南市
今峰氏 :岐阜市今嶺 から丹羽郡扶桑町から大口町
牛牧氏 :瑞穂市穂積町牛牧
井口氏 :岐阜市井口
宇田氏 :養老郡養老町宇田
揖斐氏 :揖斐郡揖斐川町から谷汲村
梅戸氏 :三重県員弁郡
植村氏 :愛知県知多郡阿久比町植大
           大安町梅戸
宇都氏 :京都府北桑田郡京北町地内
大桑氏 :山県市高富町大桑
衣斐氏 :揖斐郡大野町大衣斐・小衣斐
大島氏 :郡上郡白鳥町大島
江戸崎氏:茨城県稲敷郡江戸崎町
大須氏 :本巣郡根尾村大須
大竹氏 :美濃加茂市蜂屋町中蜂屋字大竹
隠岐氏 :島根県隠岐島
大西氏 :不詳
表佐氏 :不破郡垂井町表佐
奥田氏 :加茂郡七宗町神淵地内
乙部氏 :三重県津市乙部
落合氏 :安八郡神戸町落合
下石氏 :土岐市下石町
小里氏 :瑞浪市稲津町小里
笠毛氏 :大垣市福田町地内
柿田氏 :可児市広見柿田
金山氏 :益田郡金山地内
金森氏 :未詳
北方氏 :本巣郡北方町北方
萱津氏 :愛知県甚目寺町上萱津・下萱津
郡家氏 :揖斐郡大野町郡家
木和田氏:南設楽郡作手村木和田
久尻氏 :土岐市泉町久尻
久々利氏:可児市久々利
神戸氏 :瑞浪市寺河戸町
気良氏 :郡上郡明宝村気良
小柿氏 :本巣郡真正町小柿
小宇津氏:未詳
小島氏 :揖斐郡揖斐川町小島
御器所氏:名古屋市昭和区御器所
小島氏 :岐阜市一日市場地内
小弾正氏:本巣郡糸貫町七五三地内
西郷氏 :岐阜市西郷地区
佐良木氏:各務原市更木地区内
猿子氏 :瑞浪市土岐町益見
志多見氏:岐阜市長良志段見
島田氏 :養老郡養老町高田
志多見氏:名古屋市守山区志段味地区
陶器氏 :各務原市須衛
芝居氏 :愛知県海部郡弥富町芝居
須原氏 :美濃市須原
菅沼氏 :愛知県設楽郡作手村菅沼
瀬田氏 :可児市広見瀬田
墨俣氏 :安八郡墨俣町地内
曽代氏 :美濃市曽代
曽我屋氏:岐阜市曽我屋
仙石氏 :未詳
高田氏 :多治見市高田から土岐市泉町
高松氏 :香川県高松市
高山氏 :土岐市土岐津町高山
田中氏 :揖斐郡池田町田中
多治見氏:多治見市
田原氏 :関市田原地内
月海氏 :未詳
土居氏 :岐阜市上土居・下土居
遠山氏 :未詳
妻木氏 :土岐市妻木町
徳山氏 :揖斐郡藤橋村内徳山
外山氏 :本巣郡本巣町外山
長沢氏 :大垣市長沢町
長瀬氏 :多治見市長瀬町
長森氏 :岐阜市長森地区
長山氏 :未詳
西脇氏 :美濃加茂市西脇
則松氏 :岐阜市則松
萩原氏 :瑞浪市稲津町萩原
羽崎氏 :可児市羽崎
蜂屋氏 :美濃加茂市蜂屋町
浜氏  :未詳
原氏  :恵那郡山岡町原
肥田氏 :土岐市肥田町肥田
東池田氏:多治見市池田町
深坂氏 :揖斐郡谷汲村深坂
肥田瀬氏:関市肥田瀬
深沢氏 :瑞浪市日吉町深沢
福光氏 :岐阜市福光地区
藤田氏 :未詳
舟木氏 :本巣郡真正町から巣南町
穂保氏 :三重県四日市市地内
堀内氏 :三重県一志郡嬉野町堀之内
本庄氏 :未詳
槇野氏 :未詳
丸茂氏 :未詳
満喜氏 :千葉県夷隅郡夷隅町万木
溝尾氏 :未詳
三栗氏 :土岐市肥田町浅野地内
三宅氏 :羽島郡岐南町三宅
武藤氏 :未詳
村山氏 :岐阜市村山
屋井氏 :本巣郡糸貫町屋井
山尻氏 :愛知県江南市山尻
山本氏 :美濃加茂市山本
吉田氏 :未詳
世保氏 :大垣市世保・岐阜市世保
鷲巣氏 :養老郡養老町鷲巣
六ノ井氏:揖斐郡池田町六ノ井
和田氏 :揖斐郡揖斐川町和田
 
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実
明智 憲三郎
文芸社

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世田谷の原一族 (原 光代)
2018-06-11 16:13:42
始めまして。私の実家は兄で11代目になる丸に桔梗紋の東京都世田谷区野毛の原家です。本家も分家も同じ町で、江戸幕府以前は武士であったと聞いていますが、過去帖も失い、証拠も定かではありません。しかし、子供の時に刀が納屋にあったのを見ていますし、物置を壊す時に小さい御膳などが山ほど出て来ました。この辺りには原氏が多く皆丸に桔梗です。両親の代まで農家で世田谷に広い土地を所有していました。世田谷の瀬田は土岐を名乗る人が名付けたそうです。つきましては土岐の子孫が世田谷へ移った話は聞いた事が有りますか?
原家 (明智憲三郎)
2018-06-12 10:15:36
 貴重な情報をありがとうございました。どれも初めてお聞きした話で参考情報をご提供できないのは残念です。
 土岐氏の原家で有名なのは横浜の三渓園を増築して明治時代の実業家原三渓。桑田佳祐さんの奥様原由子さんも土岐氏の原家と聞いたことがありますが、確認はとれていません。
 原家のご子孫は多いと思います。土岐氏の研究団体美濃源氏フォーラムに参加されて情報共有してはいかがかと思います。
http://minogenji.html.xdomain.jp/
 また、年1回、関東圏の土岐一族の集いがありますので、そちらにも参加していただくと良いと思います。
http://tokikai.jp/
世田谷の原氏 (原 光代)
2018-06-20 10:13:22
お返事有り難う御座います。桔梗紋という事もあって、お寺や神社の集いは代々行いながらも密かに暮らしておりましたので、先生の本で似たような経験をなさっていたという事を知り大変共感しておりました。

歴史で本能寺の変を学んだ時、何故か心の中で妙だなと感じたのはもう40年も前の事です。どういう訳か血が否定するのでした。そういう訳で最近光秀の誤解が解けてきた傾向を嬉しく思います。

横浜の三溪園の情報、有り難く存じます。実は私は現在米国のシアトルにおりますが、日本へ帰りましたら訪れてみたいです。関東土岐会などにも参加してみたいと思います。

お会い出来る日があります様。
早々。
世田谷区史 (明智憲三郎)
2018-06-27 16:44:10
新修世田谷区史上巻に中世・近世の世田谷の歴史が書かれています。分厚い本で、ざっと目を通した程度ですが、直接原家に言及した記事は見つかりませんでした。瀬田周辺は土地質の良い場所だったようです。中世には吉良氏、江戸時代には井伊家があのあたりに所領を持っていたようです。
 私の住んでいる横浜市戸塚区には土岐一族の肥田家が現在でも多いですが、鎌倉時代に所領を得たと聞いています。原家がどの時代に何家に着いて世田谷に入ってきたのか興味深いですね。
Unknown (美濃の原氏)
2018-08-07 16:54:23
始めまして、私も丸に桔梗の原です。
除籍謄本などを役所に届け出れば、光代さんのご先祖は150年位前までは遡れることができる可能性があります。
(現在の法律で謄本は150年間保存することが決まっている。)
私も檀家過去帳・除籍謄本・伝承等から先祖をたどっております。

さて、私の先祖と同じ系統の原氏だった場合ですが、武田信玄の家臣で土岐系原氏に原昌胤という人物がおりまして昌胤の子孫は武田家滅亡後、松代藩の家臣となりました。 真田家家臣の原は八家ありまして、そのうち一家が江戸詰家臣でしたので勤番長屋が世田谷にあったのならば松代藩の原氏の子孫の可能性があります。 除籍謄本の最も古いご先祖様の名前が松代藩の分限帳に記載されていれば同一人物かもしれません。

ちなみにご先祖様が松代藩に属した原氏だった場合は原昌俊までは遡れます(一蓮寺過去帳) 原昌俊から前に遡ると原秀成の系譜に繋がると思うのですが、身延山にあったらしい過去帳も3度の火災で焼失してしまっており現存してません。1363年から1375年の間の歴史に空白がありますが、もしここが埋まると原彦次郎(原家の最も古い先祖)に到達し、更に遡れば蜂屋氏、土岐氏、源氏、そして清和天皇と、清和源氏の流れに行きつくと思いますが、ここまで遡れば桔梗紋の殆どの方が親戚になってしまいます。
ちなみに系列で常陸の国に、江戸崎土岐氏の系譜もありますのでこちらの場合は私も勉強不足でわかりません。

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