「葵から菊へ」 今こそ東京裁判判決70周年を記念しよう!

明治150年記念は、大日本帝国と平和憲法の日本国との断裂を
隠ぺいし、戦前回帰をめざす安倍政権の策動である

天皇のお休み処「便殿」と「齋館」

2017年05月12日 | 東京の戦争遺跡
練馬平和委員会事務局長坂本茂さんからの情報で航空自衛隊入間基地の「航空歴史資料館 修武台記念館」に「便殿の間」(天皇の御休憩所)があったことが分かりました。航空士官学校の卒業式には昭和天皇が毎年行幸していたそうです。



防衛省「市ヶ谷台ツアー」の時に、市ヶ谷記念館の二階に移設した「旧陸軍士官学校便殿の間」を案内してくれます。
管理人が撮影した、陸軍省時代の図面に「便殿の間」と「陸軍大臣室」を記入しました。
この二部屋を市ヶ谷記念館二階に移築しました。「便殿の間」の廊下側の壁を広報自衛官がトントンと叩き、壁と壁の間に空洞があることを説明します。当時はスチーム暖房はありましたが、冷房施設がなかったので地下室から壁と壁の間から冷風を送り込んだそうです。

米軍の撤退後は陸上自衛隊市ヶ谷基地となり、「陸軍大臣室」は、東部方面総監部総監室になりました。三島由紀夫と盾の会はこの部屋に乱入しました。所謂「三島事件」です。



靖国神社には、天皇の御休憩所「齋館」があります。木造からコンクリート造りに改修されましたがA級戦犯が合祀された後は参拝しなくなりました。現在は春秋の例大祭に天皇の代理として「勅使」が参向しますが、宮内庁からの車が正面玄関に入った後、正装した勅使が本殿に向かいます。


2006年春の例大祭に於ける勅使参向(撮影は管理人)



上の二枚は勅使が神門から宮内庁へ帰る時です。













終了したので、神職がお賽銭箱を拝殿の正面に移動しています。

錦旗


齋館は、京都東山霊山護国神社にもありました。

2008年10月9日に京都立命館大学で開かれた「国際平和博物館」会議で管理人は、靖国神社ガイドについて発言をしましたが、終了後、京都東山の霊山護国神社を参拝したときに撮影しました。





パール判事顕彰碑は、靖国神社より以前に建立されていました。






ジャンル:
神社仏閣
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