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「私は敗戦の夜から毒ガスを真鶴沖に棄てた」元六研所員71年目の証言

2016年09月10日 | 化学兵器問題
化学兵器被害解決ネット主催の学習会「敗戦直後、真鶴沖に遺棄された毒ガス」が7日18時から文京区民センター3C室で開かれました。講師の北宏一朗さん(ジャーナリスト、化学兵器被害解決ネットワーク)から当日のレジュメを頂きましたので転載します。

1945年8月の敗戦時、日本で製造されていた毒ガスは、中国大陸だけではなく、日本国内にもたくさん捨てられました。
神奈川県には、海軍の毒ガス製造工場(相模海軍工廠)があり、たくさん毒ガスが配備されていたため、敗戦時相模湾にたくさんの毒ガスが捨てられました。今回の学習会では、神奈川県湯河原町に疎開した陸軍第六研究所吉浜出張所に貯蔵していた毒ガス入りドラム缶を真鶴町福浦港から軍用小船に積み、真鶴半島三ツ石の沖合に捨てられた毒ガスについて、当時20歳の時に六研所員だったAさん(90歳)から聞き取りをした生々しい証言を中心にお話をされました。

Aさんの証言の一端から
◆六研と陸軍軍医学校
◆六研と関東軍化学部隊(第516部隊)
◆六研と九研(登戸研究所)
◆六研と海軍技術研究所
◆六研吉浜出張所の野外実験
◆六研内部での生体実験
◆第516部隊との共同研究での生体実験
「化学兵器研究の次官協定」によって陸軍と海軍の毒ガス戦を中心とした、六研についての証言を加味しながら講義されたそうです。
「レジュメ」1ページ


「レジュメ」2ページ


「レジュメ」3ページ


チャート図「悪魔のネットワーク」


「陸軍における技術研究機関の編成(1945年1月現在)


「陸軍技術研究所の業務内容」


「陸軍登戸研究所・防疫研究室・防疫給水部の関係図」


「登戸研究所と主な機関の関係図」


「淀橋区百人町・牛込区戸山町」「軍医学校配置図」(クリックして拡大)


「神奈川県毒ガスマップ」(クリックして拡大)


「日本陸軍の主な毒ガス兵器」


「日本海軍の毒ガス弾・毒ガス爆弾の種類と諸元」


「日本海軍の地上戦用毒ガス兵器の種類と諸元」






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