「葵から菊へ」 今こそ東京裁判判決70周年を記念しよう!

明治150年記念は、大日本帝国と平和憲法の日本国との断裂を
隠ぺいし、戦前回帰をめざす安倍政権の策動である

東北抗日連軍写真「金日成は前列、右から2番目」

2017年04月25日 | 平和問題
今日は朝鮮人民軍創設記念85周年である健軍節。


ハバロフスク野営訓練所での東北抗日連軍将兵
金日成は前列、右から2番目
『朝鮮独立運動の指導者金日成が、青年時代に学んだ吉林毓文中学跡。吉林毓文中学は1917年の創立で、 金日成が在学していたのはちょうど「満州国」建国前後の1930年代はじめごろといわれる。 東北における学生運動とメッカとしても有名で、35年には当局の圧力によって閉鎖された。 学校を中退した金日成は、その後、本格的な抗日活動に入り、やがて伝説的な抗日運動指導者となっていった。』
金日成読書記念堂説明文より

管理人は、十数回中国の東北部(黒竜江省、吉林省、遼寧省)を訪ねていますが、この画像は2005年5月に弁護士平山知子さんと同行した「若きいわさきちひろを訪ねる旅」(催行:富士国際旅行社)で、哈爾浜市の「東北烈士紀念館」を見学した時のものです。


「韓国併合」によって朝鮮人が中国東北部に移住した歴史もありますので、「朝鮮族自治州」があったりして朝鮮人が沢山住んでいます。
日本が傀儡国「満州」を建国してからは、中国人の抗日運動に朝鮮人も加わり「東北抗日連軍」が結成されます。
捕虜となった抗日軍兵士や協力者の多くは「特移扱」として関東軍第731部隊(部隊長石井四郎中将)で生体実験の「マルタ」となりました。

訪中する中で、朝鮮戦争の時に中国人民軍兵士として参戦した老兵士と会ったことがありますが、中国の北朝鮮への影響力が色々と大きいことを実感しています。(瀋陽から平壌まで敷設されている光ケーブル通信がその一例です。)北朝鮮問題を外交的努力で解決するためには、中国が一層努力をして欲しいと願うばかりです。
元駐日大使だった武大偉氏(朝鮮半島問題特別代表)が来日しているようですが、六カ国協議を何としても再開することが望まれます。


『アジア』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 住宅と隣接する市ヶ谷基地の... | トップ | 北沢署のご盡力で独居老人が... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

平和問題」カテゴリの最新記事