朱の徒然

変形性股関節症の69歳

タイ展・・・九州国立博物館

2017年05月20日 | 日記

 

「タイ仏教美術特別展」が、九州国立博物館にやってくるとは知ってましたが、まあ、キンキラの仏陀座像ばかりだろうと、、あまり興味を持ってませんでした。

 ところが、タイ展始まって1か月が経って、新聞広告に涅槃像が・・・。それも白黒の広告で、涅槃像は横浜の寺院のものと!

 こ、これは行かねば!見らねば!どうして?と 知らねば!  好奇心が、がぜん湧き出しました!

            

 それに九博が、金、土曜日に夜間開館を始めたとのこと。 ならば、洒落た夕方散歩に「ナイトミュージアムへ」と、GIを誘いました。    私、運動靴はいて小ぶりのリュックに傘杖ついて・・。服は街着で少し身だしなみよくして、九博に敬意を・・。

 

                 

 

 「日タイ修好130周年記念  タイ展」 よかったあ!

 夕方の5時過ぎ。人影も少なく、回りやすかった。第1章から5章までが 分かりやすく展示されていました。

 

 私の足は、第1章では『般若波羅蜜多立像』で長止まり。

 何故か4本の腕があり、両指で輪っかを作った菩薩像。卓越、最高の境地を表しているのとか・・。

 第2章 スコータイ時代 15世紀のものが、一番多くて楽しかったね。特に、『仏陀遊行像』(別称ウオーキング仏陀)。しなやかな体と踏み出した足の色っぽさは、魅力的でした。(スコータイ遺跡は、世界遺産。のんびりと行ってみたいね)

 第3章 アユタヤ時代   輝ける交易では、『素文透入柄鏡』が、豊臣秀吉?のもので、京都・妙法院からの貸し出し。この寺院では、秀吉は、自分の先祖の為に千僧供養してるものね。 兵士の供養ならともかく、秀吉は 究極の派手好きですね。

 第4章は、シャム。日本では、タイのことをシャムって呼んでたのを思い出しました。私が幼い頃は、何故か山田長政ブームだったね。もしかしたら、戦後すぐで、他の東南アジアからは、占拠したと恨まれてたので、独自タイとは、友好的だったから?

 続く5章を見ながらも、もしかしたら 涅槃像は、九博には来てない?と不安に駆られていたら 最後、ありました!

 

            

 色目は、金、銀、銅、鉛 全てが、入ったような複雑な色でした。大き過ぎず小さくもなく・・。

 興味を惹かれた一番は、この涅槃像を日本に持ち込んだ人物!  日本初の上座仏教僧侶・釈興然(グナラタナ)(1849~1920)にです。

 明治時代にスリランカに留学した日本人の僧。日本の大乗仏教(中国から)ではなく、上座仏教(タイ、ミャンマー)を広めようとして、日本に持ち込んだ50体のうちの1体が『仏陀涅槃像』(15世紀の作品)だとか。横浜の三會寺にあるという。

 釈興然は、僧国を作ることを目指していたそうですが、果たせなかったのね。そんな、日本における上座仏教の色々は書かれてませんでしたね。

 でも、涅槃像っていいですね。迷いの火を吹き消した状態、仏教における悟りの境地ひいては、釈迦の死だそうです。

 まあ、急ごしらえの知識ですが、この「タイ展」は、次は「東京国立博物館」なので、娘の参考になれば・・・と書いてみました。(上座仏教のことを、小乗仏教って言っちゃあダメですってよ。大乗仏教からみた侮蔑の入った言葉らしいから・・・)

 

  九博の森から見下ろした町は、こんな時間の使い方のできる老後になった事を報せる 薄紅の夕暮れ色でした。

 

 

       マレーシア ペナンの涅槃像。 離れて暮らした50代時の頑張ってる二人。

 

 

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