AKB48をめぐる妄想

AKB48にハマった私「カギ」が、好き勝手なことを述べるブログです。

最近コンビニで困ること

2009-10-20 03:06:01 | Weblog
 最近コンビニに行くと、雑誌の棚にあまりにもAKB48の文字が多過ぎて、何だか当惑してしまう。「あー、ウチの子たちがこんなに有名になって」みたいな擬似親心でニヤニヤしてしまいそうになるのだが、コンビニの雑誌コーナーでニヤついてる中年男なんてどう考えても気色悪いだけなので(下手すりゃ警察でも呼ばれかねない)、懸命に顔を引き締めるのだが、やっぱりうれしいものはうれしい。

 会いづらくなったことも、遠くなったことも、それは彼女たちが望み、私たちが支えたかった「成功」のもたらした副作用だ。一抹の寂しさがないとは言わないけれど、それを上回るほどに、やっぱりうれしい。AKB48が始まって、もうすぐ4年。彼女たちの、AKB48の最終目標ではないにせよ、とりあえずこれくらいにはなって欲しいと思っていた現実が、今目の前にある。これがうれしくないはずがあろうか。

 これだけメジャーになるべき存在を、ごく初期から間近に見続け、深く思い入れて来られたことは、やっぱり貴重な経験だった。私たちが平凡な社会生活を送る中では、こんな出来事には一生の間で数えるほどしか遭遇できないだろう。私はただの一ファンとして、ここで「降りて」しまうこともできる。この先は虹の階段を上り続けて行くメンバーを遠く懐かしく見守るだけの方が、ファンとしても気楽なのかも知れない。

 しかし、彼女たちの夢は、そしてAKB48の夢は、まだ発展途上だ。AKB48の人気はやっと火がつきかけたものの、まだこの社会に、日本の文化史に「一時代を築いた」と言えるほどではない。AKB48は最低10年計画だった、はずだ。私たちファンも一緒に夢を見続けて来た。AKB48の行く先が見えない中で、私たちファンもまた必死に、大きな絵を思い描こうとして来た。そして、その思いはまだ完全に果たされてはいない。

 彼女たちにさんざん頑張れと言い、夢に向かって走らせ続けて来ながら、今ここでファンだけが降りてしまっては、なおも走り続けるメンバーたちに顔向けが出来ない。彼女たちが走り続けて来た頑張りと苦しさを良く知り、悔しさも達成感も分かち合えるファンが、これからも必要なはずなのだ。劇場公演を通じて彼女たちを見つめ続け、AKB48に愛着を持って考え、語って来たファンの底力が試されるのは、むしろここからだ。

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1 コメント

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どんなに大きくなっても (GG)
2009-10-20 10:32:17
本当にAKBの勢いを感じさせられますね。多人数は言うに及ばず、個別にも前田さん、大島さんが写真週刊誌やマンガ雑誌の表紙を華々しく飾っています。また、大型書店で若い男の子集団から「選抜総選挙」「まゆゆ」「さえ」等のワードが聞こえてくると、私も思わずニヤついてしまいます。

ところで、私事ですが14日のK公演を観ることができ、久々に高まることができました。
やはり、劇場公演は素晴らしい。私は公演に行きにくくなった分、オンデマンドに力を入れて、42インチ大型TVへの外部出力や高性能SPの導入でかなり良い環境ではあるのですが、それでも、公演ライブには遠く及びません。
たとえ、今後技術が進歩してミックスド・リアリティ(MR)(複合現実)で公演が体感できるにせよ、絶対に手に入らぬ要素があります。それは「空気」です。大勢の生身の人間が吐き出す熱気、汗や匂い・・・。劇場にはその時だけの空気があり、「気配」が流れます。
それらは見えない力で絶えず変化しながら観る者の心を揺さぶります。
よって、秋元Pの「AKBは劇場第一」のご発言は極めて重みのある箴言ではないでしょうか。
劇場公演こそAKBの「精髄」であり「精華」でもあると。

オフィシャルブログにある、副題の「~AKB48 TOKYO DOME までの軌跡~」が今なお牢乎として揺ぎない目標であるならば、メジャーアイドルとしての道程も未だ道半ばでしょう。武道館の成功だってメルクマークにすぎません。

今後AKBがどんなに成長して、大きくなっても、会いにくくなっても、遠い存在になっても劇場という「艫綱」は大切にして欲しいなと切に願います。
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