アカツキですけど

百戦錬磨 もう百戦越えてますけど その先に何があるのか

天皇差し替えでどんだけの事が起きるのか。嫌われてる連中のやることは決まってこう。全部繋がってる。

2017-02-22 09:42:28 | 日記
たぐっていくと根は同じ

百済が唐に対しやってきたことは国費かっぱらいに殺人に罪状を作り罪をかぶせ拡散し

その親族みんな殺すことだ。

これやってきた百済という組織を同じ目にあわせると言ってる。

どこに人権あんのか。えんえんと利用しハメてるだけはないか。

過去歴史と同じことを繰り返してるだけなのに、これを変えられないできたために

どんだけ人が死んだか。同じ量消さないとフェアにならない。

もちろん相馬伊達藩一部は徹底的に潰しにかかっただけでなく徹底的に拷問する。

同じ力を発揮しないとな 時間がいくらもない。

あと一部会津藩と一部の京都。

うち殺した連中の子供がそこらにいる。実名でえんえんとあげていく。その子供や孫まで

同じ責任負わせるから。そいつらがやったことは47都道府県の信仰の在り処もぐぢゃぐぢゃに

し、騙されて何百万人殺される事件へと発展してる。そんだけの地位だ うちが。

相馬市役所関係者 南相馬市役所関係者 連動してみんな国を滅ぼした責任がある。

さらしあげ えんえんとその騙された死んだ英霊にリンチされないとな。

身近にいるやつほど殺されて当然の人間が多い。そいつらがうちを殺害してきたことが

全国の戦争被害者の元にもなってる。そんだけの地位であったことをみんな、うちから

奪った戸籍や金で捏造してきたんだ そいつらが。






あと世間が騙されてるのは皇室というもの。これもともと貴族なんかじゃないから。

もちろん長い歴史の中で天皇の流れをくむ支流はいくらでもある。

そしてヒロヒトの外野 細川だの島津だの こんなものは武家だ武家 単なる昔の武家。

それと元公家が混ざり合った不純物から形成されてんだ。皇室だの皇族だの

捏造すんのに、こいつらは過去 いくらの金をぶっこんで国内と海外にアピールしてきたか。

その金はもちろん大衆の税金だ。つまりカツアゲされて捏造費用を徴収されてきたという

仕組み。皇室だの皇族だの 皇と呼べるものではないということ。

それだけに、あの連中は日本を作った神の一族だと大嘘をえんえんとつき続けてきたのさ。

とんでもない詐欺。過去それをつくがえせなかったのは、神道がネットワークで

天皇は日本を作った神の子孫というチェーンメールをいつまでもやってきたからだ。

なので神道つぶし去年かおととしからやってる。神道つぶしの主体は賽銭を入れるなと

いうことだ。あとは札をもらうなということだ。それ、チェーンメールの加担してることに

なってんだかんな?? 自覚ないか??

それから宮内庁解体 あんなものいらないとさいさん言ってるし、第一宮内庁の前身は

うちを殺し国費をうばった本体のひとつだ。これほど恨みの対象になってる。

捏造するためにうちに罪をかぶせたり、捏造するために金がいるから金を騙し取ったり

それは相馬市役所も現在進行形で過去うちに対しまたやってる。アイツら拷問かけて

えんえんとなぶり痛めつけて地獄から這い上がれないようにすると言ってる。

国の頂点をまるっきりこんな小さいしとょぼい場所から行って全国だますまで発展してんだ。

ここの住民たちの命なんて、ミジンコ以下だ。もちろんそいつらの子供も該当してる。

うちの家系も先祖たちは子供を案じて何代も何代も・・・



裁判所関係 法務関係はよく見ておけ。

これが国費かっぱらいの経緯のひとつだ。

それを助けるなんぞ あってはならん。何度も言ってるとおり連中はもともと実績も人徳も

力量もナシ。嘘とハリボテと虚像の悪霊だ。そいつらが延命するために、

チェーンメールやって生きてきたんだから。日本人みんなチェーンメール大っ嫌いだぜ??

人間関係壊すしな。

そいつらは常に人の実績や名を欲しがる。

自分で実績を作り名をあげてはどうか

自分で宝石を作ったらいかが??とあたしが言う。

いいや 自分にはそんなにきれいな宝石は作れないと相手が言う。

いくらですか それ欲しいので売ってくださいと相手は言ってくる。

いいや ものすごく手間暇かけて念をかけ作ったものだから売り物ではないとこちらが言う。

相手にとってえんえんと羨ましいものを持ってるのがこちらということになる。

それは物であり、苦労であり、実績であり、人気であり、信仰である。


平岡 定太郎(ひらおか さだたろう[1]、文久3年6月4日(1863年7月19日) - 昭和17年(1942年)8月26日)は、日本の内務官僚。樺太庁長官(第3代)。福島県知事(第17代)。正三位勲三等。兵庫県平民[2]。
作家三島由紀夫の祖父。農商務官僚平岡梓の父。

事件[編集]
汚職の嫌疑で追われた樺太長官の座[編集]
定太郎は赴任後の明治44年(1911年)、記者にむかってその抱負をこう語っている。「樺太の経営上、施設すべき事業は鉄道の敷設及び港湾の修築は最も急務である。いまや拓殖鉄道もその緒につき第一期線たる豊原大泊間(二十五哩)はいよいよ十一月六日をもって開通した。また四十四年度においてはさらに豊原より北海岸たる栄浜間の全通をも見る予定である。なお進んで伏滝支線を敷設(十三哩)し、拓鉄とあいまって貨物の呑吐港たる大泊に応急的設備をおこない、以て海陸の連絡をはかり、さらに豊原を中心として西海岸との連絡、それよりマヌエ山道を越え東西両海岸を貫通せしめる積りで其他はいずれ十数年後の施設にゆずらなければならないが、予定線完成の暁には沿道移民に与える便益は大なるものがあるであろう」。港湾開発や内地からの移民問題に触れて気炎を吐いている。この勢威あまねく定太郎の樺太庁長官としての生活はしばらく続く。だが破局がやってきたのは就任して7年目の1914年(大正3年)であった。三島由紀夫が生まれる10年前に平岡家は急転直下、没落の転換期を迎える。
当時の報知新聞をみると、大正3年(1914年)の6月2日頃から事件は紙面を大きく飾っている。6月3日には「政友会の罪悪」と掲げ「漁場払下と政友会」の関係をあばく記事を載せている。簡単にいえば、明治45年(1912年)の衆院選挙にさきがけ、平岡長官は禁漁区域内の十七漁場での操業を一夜づくりの得体の知れぬ会社に許可し、その汚職で得た十万円の金を、かねて愛顧をこうむっていた政友会の原敬(当時内務大臣)に贈った、というものであった。火をつけたのは樺太の漁業業者である。いわゆる役職を乱用した政治献金の容疑であった[8]。報知新聞の「政友会の罪悪-漁業払下と政友会」の記事が出たその日に定太郎は、原敬を訪問し辞職する由を伝えた。原敬はこの日の日記に、「余は平岡の何等非難を受くべき事実なきと認める。(中略)政府の仕向は如何にも陋劣にして大浦(兼武)が主となり江木書記官長及び安達謙蔵などと共謀して平岡を陥れた。(中略)平岡を陥るるために、平岡が政友会のために漁場を利用して選挙費用を作りたりとて、報知、やまとなどの御用新聞に掲載せしめて無根の風説を流布し、よりてもって平岡を傷つけ遂にその職を去らしむるか。(中略)而してこれみな大浦の陋劣なる悪計より出づるものなり、立憲政治にあるまじき所為なりと思う」と綴っている[7]。
疑獄事件は「前樺太長官土人[15]漁業資金及び印紙割引料十万円横領事件」となり、定太郎は、漁場を許可した事件および印紙切手類販売事件で告訴される。花井卓蔵弁護士は、「本件は或人の党派人のために讒訴[16] せられたものであって法律上は責任無きにも拘らず、訟庭に立つが如き不名誉を負わされた」と無罪を主張した。判決は1916年(大正5年)5月23日に下り、「証拠不十分により無罪」であった。しかし、無罪にはなったものの、定太郎は樺太庁の切手、印紙の割引で生じた赤字補填のため自腹を切って十万円を差し出す羽目に陥った。『仮面の告白』で「莫大な借財、差押、家屋敷の売却」[17] とあるのは、ここに起因する[7]。
平岡家に出入していた好田光伊が“失脚の直接的な原因となったのはどういう事柄ですか?”と定太郎に聞いたことがあった。たずねられた定太郎は身を乗り出して、“よく訊いてくれた。当時の樺太では収入印紙の値段が日本の内地よりも高価だった。たとえば5銭の定価の印紙が樺太では6銭、7銭で売買されていたが、これに眼をつけた俺の部下がこっそりと内地から運んできて売買し不当に儲けていたんだ”と答えたという[8]。
阿片事件[編集]
東京日日新聞の記事には、「大正八年十二月三十一日午後十時三十分大連駅に於いて巡査岡崎又蔵は長春行列車に小畠庄二郎が阿片煙土九十六個を一個のトランクに入れて発送密輸せんとしたのを押へた。此阿片は大連梅関大連駅貨検所を無検査で通過しやまとホテルのボーイ上田藤平が小畠の命で発車時間々際に奉天送りの手続きを為し一等車に乗ってゐた前樺太長官平岡定太郎に其合鍵を渡すのを認め岡崎巡査は平岡と知ってか知らずか海関外勤部長浜田正直貨検所員白井久保立会の上差押へたもので此発生事件に就き平岡及小畠の狼狽一方ならず直に中野民政署長に通報し署長は海関に交渉し押収阿片の引渡を受け曖昧裡に葬った平岡氏は此事件に関連してゐるのは奇怪だが兎に角何者かゞ天津方面に密輸せんとしたものだ」とある。
事件概要は、猪瀬直樹によると、「大正8年(1919年)12月31日)夜、定太郎はやまとホテルを出て、馬車で大連駅へ向かった。一等車のコンパートメントの外に立ち、幾度も懐中時計を取り出した。誰かを待っているのだ。やがて、やまとホテルのボーイが一等車にやってきた。ボーイは尾行に気づかない。発車間際である。ボーイは定太郎に(トランクの)鍵を渡して立ち去ろうと背を向け、定太郎がコンパートメントのドアを開けてなかへ入ろうとした瞬間、“ちょっと待った”という声が響いた。“あなたが受け取った鍵は、通関していないトランクのものです” 荷物は列車に乗せる前、税関の検査を受ける。通関していなければ密輸品と断定されてしまう。定太郎は、“そんなはずはない”としらを切った。だが巡査は確信ありげに、“その鍵はあなたのものですか、そうであれば通関していないトランクもあなたのものと認定せざるを得ませんな”と主張した。定太郎は、巡査がトランクの中身を知っている、と思い観念した。ことを荒立てては損だ、とそのまま巡査に鍵を渡し、一等車の客となって夜の大連から消えた。巡査は税関関係者の立会いのもとにトランクを開けた。なかから阿片煙土(粘土状のもの)九十六個(重量44キログラム)が出てきた。末端価格一万二千円で(現在の価格に換算すると1億円余)で、三井物産の納品であった」という[7]。
猪瀬直樹の解説によると、「当時、関東庁の下には阿片総局という財団法人があった。名目上は医薬品としての阿片を中国人に専売し、それで得た利益をもとに宏済善堂という慈善団体で病院を経営、貧しい阿片患者の救済にあてるタテマエだった。長春行き列車の一等車で定太郎は、その阿片総局の書記を務める小畠貞次郎のトランクを運ぶはずだった。阿片総局で扱う阿片は、表向きの帳簿に記載される取引だけではなかった。小畠のような人物が、自分の裁量というより組織的に、阿片を密売人に売り捌いて裏金づくりに励んでいた。小畠に指示を出していたのは関東庁民政署長の中野有光で、さらにその上に拓殖局長官古賀廉造がいた。(中略)古賀は原敬の司法省法律学校時代の同期生である。原が内相になれば警保局長、首相になれば拓殖局長官と、いつも引き立てられていた。樺太庁長官を六年も務めた定太郎は外地の行政に詳しい。拓殖局長官古賀廉造は、職制上、外地一般を視野に入れている。(中略)(原の)つぎの課題は外地であった。(中略)定太郎は原と政友会の資金集めのため、危ない橋を渡っていた」という[7]。
給与差押え[編集]
大連駅の一夜か10ヶ月ほど経った大正9年(1920年)10月10日、定太郎は東京市道路局長に就任した。「新道路局長が初月給の差押え(東京朝日10月20日付)」の見出しが新聞に載った。
記事は定太郎が蓮華鉱山合資会社社長のときの後腐れ話であった。「僕がある鉱山会社を起こしたとき、上田、大原の両人から多量の針金を仕入れた残額で、僕が責任者として裏書きしたものだが、会社が悲境に陥り債務を果し得なかったのだ」という定太郎の弁明のコメントが出ている。立憲政友会攻撃に新聞報道が傾く中、同年12月、定太郎は東京市道路局長を辞任し、代わりに反政友会の後藤新平が就任する[7]。
詐欺事件嫌疑[編集]
定太郎の名前が久しぶりに新聞紙面を飾った。昭和9年(1934年)5月9日付の新聞に、定太郎が、明治天皇の親筆と偽った書を売り捌く詐欺団首魁として逮捕されていたことが、顔写真入りで載った。「平岡元樺太長官 偽の御宸筆(ごしんぴつ)で詐欺―畏れ多くも由来書を作り大胆な罪を計画」(東京朝日・昭和9年5月9日付)というもので、大きな見出しで記事は7段にもわたっていた。容疑内容は詐欺であり、定太郎とその一味が、絹地に“国家”と書かれた明治大帝の直筆を高額で売り捌こうとした。しかも御宸筆は偽物で、ある職工が「亀戸天神の縁日」で三十五銭で買ったものだった。転々として骨董屋で五十銭で売られており、これを購入して本物と偽ってひと儲けたくらんだのである。しかし2ヶ月後、怪しげな連中にただ担がれただけ、と判断され不起訴となった[7]。
原敬暗殺予見[編集]
大正10年(1921年)11月4日、定太郎の後ろ盾であった原敬が暗殺される(原敬暗殺事件)。事件の8ヶ月ほど前、原敬は日記に、「夜岡崎邦輔、平岡定太郎各別に来訪。余を暗殺するの企ある事を内聞せりとて、余の注意を求め来る」とある[7]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E5%AE%9A%E5%A4%AA%E9%83%8E

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