Akatsuki庵

日々と向き合って

沢田教一展

2017年08月19日 13時48分08秒 | 茶道具以外の展覧会
日本橋高島屋で開催中。

沢田教一といえば、ベトナム戦争をイメージしてしまう。

ベトナム戦争といえば『ベトナムのダーちゃん』、かな。

物心ついた頃にちょうど真っ最中だった。

本は親から買い与えられたものだったけど、
挿絵と内容のギャップに読みかねていると、
業を煮やした母親が読み聞かせをしてくれた。

だけど、あまりの理不尽さに頭が理解するのを拒否したなぁ。
それが同じ現実社会の中で実際に起こったことなど、到底信じられなかった。

しかも、その本の中でも、その時点でもベトナム戦争はまだ終結していなかったので
なんとも言えない中途半端な終わり方で、何か納得いかなかったっけ。

たしか、続編が出ていたと思う。
それも買い与えられ、その頃には少し大きくなっていたので、自力で読めた。

そして、最後にベトナム戦争が終結したことが書かれていた。

あれだけ虐げられていたベトナムが勝ったんだ。
あんな乱暴なやり方をしたアメリカが敗けるんだ。

と、それも「よかった」というより、何か妙な気持ちになったのを覚えている。

あの話とピュリツァー賞受賞作の「安全への逃避」が同じ事柄として理解できたのは
随分と後だった。

沢田教一の名も亡くなった後に知ったような気がする。

今回、たくさんの白黒写真とともに当時のベトナムの写真を見た。

戦場の兵士の写真もね、なんか不毛なものを感じる。
誰も喜んで戦っていない。心を殺してそこにあるような。

ベトナムの街も、日本の終戦直後と同じような生きるのに必死な子どもたちの姿。

でも、そこにカメラマンの優しい視線が感じられる。

ベトナム戦争の前は従軍カメラマンがいて、主に戦績や戦意高揚に関わるような写真撮影が求められ、
ベトナム戦争後は報道カメラマンが戦場に立ち入ることを厳しく制限されたという。

だから、報道カメラマンが戦場でリアルな写真を撮るまくることができたのは
後にも先にもベトナム戦争のみだという。

だから、沢田が遺した写真は貴重な存在であり続けるのかも。


今のベトナムという国には興味がある。

安南の焼き物も好きだし、フォーや春巻きを一とするベトナム料理も大好きだ。

訪れてみたいなぁ。

ベトナムのダーちゃん
早乙女勝元
童心社

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