素朴な むかしの 神々のように べんぶしても べんぶしても 足りない
宮沢賢治の石碑の傍の白い壁に書かれていた「春と修羅」の一節を、石碑の上に重ねてみました。
「べんぶする」とは、どういう意味なのか分かりませんでしたので、帰宅後に調べてみました。
「べんぶする」とは岩手の方言で「喜びのあまり、手を打って踊ること」なのだそうです。
大雨の被害で倒れてしまった稲が、数日後奇跡的に起ちあがった喜びを表現したもののようです。
仏教的生命観を持ち、いつも農民に寄り添って生きた賢治の優しいまなざしを感じた盛岡の旅でした。
昨日は、羽生結弦さんの優雅ではあるが鬼気迫る演技に、日本中が「べんぶ」した夜でしたね。