明石大橋の見える丘に住んでいます

出来事を写真入りでお伝えできれば幸せです。

まさか

2016-12-04 19:27:02 | 日記


次の日 その看護婦長さんからの電話がありました。

「森の子羊」さん 年明けに県立がんセンターからの紹介状を入手して下さい。
1月15日までであれば内科 外科の先生がいます。
ただ、それ以降は外科の先生がアメリカの学会に出ますので 内科の先生だけになりますので・・・
手術状況によっては外科の先生も待機する手立てが出来ています。

電話の先では 信じられないような言葉が聞こえてきます。



正月を待って 年が明けて始めて行った県立がんセンターでは
「今からでも内科に帰れますよ」

そんな言葉も すでに私の耳には聞こえてきません。

部長先生から3番目の先生に 言いました。
「先生実は 紹介状を書いて欲しいのですが・・・」
「なに・・・」
急に不審そうな顔つきになります。

県立がんセンターの看板を背負って 自負して出た言葉だったのだろうが・・・
まさかここで 転院をすると告げられようとは思っていなかったようです。

それまで 持っていた ボールペンを投げるように机の上に置いて・・・
睨みつけるような眼で私を見ます。

「判りました」

「用意しますので、外で待ってください」


私が転院したいと告げた個人病院は
2-3年前から国立がんセンターから先生を集めた病院だったのです。

私が その病院の婦長さんと知り合いになれたのも偶然です。
その病院に ガンと取り組む先生がいたことも偶然です。
そして たまたまではあるが手術が即刻出来る体制に整えてくださったこと。

ただいえるのは やみくもに その婦長さんにお願いしたわけではありませんでした。

息子の嫁が買ってくれていた「ガンに関する本」に
なんとその病院の名前があったことである。


紹介状と それまでの胃カメラ映像のCDを手に・・・
H先生にお会いしました。

「子羊さん、渡してもらったのはこれだけですか?」
不審そうな先生の声・・・
「はい そうですが・・・」

「実は 胃カメラ映像がモノクロなんですよ・・・」
返ってきた返事に唖然としたわけです。

県立がんセンターで見た画像は、内科でも 外科に回っても目にしたが 間違いなくカラー画像だった。


あの急変した態度から・・・
信じられない紹介状が渡されたとしか言いようがないのです。

しかし 無事私の胃の中に出来たがん細胞は、数日後には綺麗に剥離されていました。

助けてくださってありがとう。












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