めざせ極上ライフ

謎のライターAkariのブログ

生きることの重み

2012-08-31 17:39:07 | 日記

先日の南海トラフ地震の被害予測報告を受け、 大きな被害が出ると警告された地域の人たちからは、 「死んでも仕方ない」「逃げないであきらめる」 といった声が、多く寄せられているようです。 確かに地震発生から10分もかからないうちに津波が到達し、 その上非難場所も見つからないような土地に住んでいれば、 「何をやっても仕方がない」と投げやりになるのもいた仕方なし。 ただ、本人はともかく「死なれると困るのは周りのほう」でして、 移動を拒むお年寄りを説得している最中に亡くなった地域の方々や、 今もご遺体を探して歩きまわる家族の姿を目の当たりにしたなら、 「そう簡単に死ねない」と誰もが思うはず。

もし死ぬことを覚悟して非難をあきらめるのであれば、 自分の身元がすぐに判明するような工夫をしたり、 残った親族に迷惑がかからないよう準備をしたりと、 それはそれでやらなければならないことも多いわけで、 結局は「先の見えない物事への努力」をしたくないだけなのだと。 たったひとりの人命救助の現場に、 何十人ものレスキュー隊員や医療関係者が駆け付けるように、 ひとりの人間が命の危機にさらされただけで、 その数十倍の人間の貴重な命と時間が費やされるもの。 

どんなに「他人には迷惑をかけない」と誓ったところで、 人ひとり命を落とせば大勢の人間が動かざるを得ませんし、 この世に生まれてきた限り、誰の世話にもならずに あの世に旅立つことは到底不可能。「死んでも仕方ない」と、何の衒いもなく口に出せるような人は、 きっと災害対策だけでなく、日常生活のすべてにおいて、 「面倒くさいことは避ける」という思考の持ち主なのでしょう。 たとえお金や環境が不足していたとしても、 各々にできる対策は「小さな努力で」必ず見つかります。 生きたくても生きられなかった人たちにとって、 「死んでも構わない」の一言ほど、 つらく悲しい言葉もないのかもしれませんね。

photo<外宮>


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命をあきらめない

2012-08-30 12:40:02 | 日記

昨日、南海トラフ地震の被害想定が発表されました。 想定外の数値には随分と免疫がついたと思っていたものの、 やはり犠牲者数32万人というありえない数字を目の当たりにすると、 「どうしていいかわからない」のが正直なところ。 今朝も東北で震度5強の地震が発生しましたが、 昨年の大震災以来大きな人的被害が出るような 地震が起こらないからといって、 決して大地震への懸念が去ったわけではなく、 「何とか小規模で収まっている」のが正解なのだと。 人間という生き物は、都合の悪い事実はすぐ忘れる性質ですから、 明後日の防災の日を前に、今一度災害への意識を取り戻していただければ幸いです。

最近では、太平洋沿岸の低海抜地域に住む友人と話しておりましても、 めっきり地震や津波の話題も出なくなりましたし、 今夏の雨不足により「ゲリラ豪雨対策」や「巨大台風対策」も尻つぼみ。 ただ、先日沖縄を襲った台風15号に関しても、たまたま雨雲の中心が逸れ、 大きな被害につながらなかっただけのことで、 仮に本土直撃のコースをたどっていたら、 今頃たいへんなニュースになってはず。 痛い思いをして初めて「ギリギリの所を歩いていたんだな」と気づくように、 ほんの紙一重の差で日本の大部分が被災地になってしまう可能性もあるのですね。

当人は気づいていなくても、端から見れば「あーあの人危ない」と感じる場面は多々あります。 たぶん私たちは気づいていなくても、 宇宙規模の視点から見れば「あー今日本は危険だ」と思われているのでしょう。 「大きな視点で世の中を観る」という姿勢は、 自分や大切な人の命にもつながる心構えでして、 普段から目先の細かい問題にばかり執着し、狭い視野で物事を捉えていると、 最終的には「人の生き死に」にまで影響を及ぼしがち。 今すべての日本人に必要なのは、まさしく「命をあきらめないこと」なのかもしれません。

photo<外宮>


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広い世界を観る

2012-08-29 12:25:44 | 日記

占いに関わって得た数少ない収穫のひとつが、 「視野が広がった」ことでした。 毎日毎日天体図とにらめっこをしておりますと、 身の回りに起こる物事を「宇宙の一部」 「人生の一場面」と客観的に見る癖がつき、 「世の中が動いているのだから仕方ない」 「こういう時期もあるのだから仕方ない」と、 よい意味でのあきらめも早くなるもの。 また逆に、今向き合っている様々な問題が、 「世の中の流れや未来の出来事に影響を与えている」 という実感を得るたび、課題に対する心構えも変わるのが常です。

ここ最近、世間の人たちと話していて感じるのは、 「何だか話題が広がらないな」という閉塞感でして、 毎度毎度身近な環境や身近な人間関係の話にばかり終始し、 数年前とまったく変わらない内容のグチや文句を繰り返しながら、 異性関係や結婚や引っ越しなど「目先の物質的な刺激のみで」 人生を変えようとあがいている姿をよく見かけます。 ただ、社会情勢が行き詰っている大きな原因は、 「私たち個人の行き詰まり」にあるわけで、 世の中の動きや時代の流れに無関心な人があまりにも増えすぎたことが、 こうした先の見えない状況を作り出しているのは事実でしょう。

確かに、シリアの内戦や日中日韓関係よりも、 姑の小言や恋人の心変りのほうが気になるのが人間ですが、 ひとりひとりの人間が発する負のエネルギーというのは、 大地震や戦争のきっかけを作るほど強大でして、 今日本がどうにか平和を保っていられるのも、 我慢強く穏やかで神様に好かれる日本人の気質が、 大地の怒りや他国の攻撃性を緩和しているからこそ。 これ以上私たちが「狭い世界の中で」身勝手に感情を爆発させ続ければ、 確実に東日本大震災レベル大災害と、紛争地帯レベル戦乱が、 こののどかな日本でも起こりかねないのですね。

今なお震災の傷跡に苦しむ東北の方々や、 紛争・貧困地帯の人々と同じような状況が、 明日にも私たちの身に降りかかってくるかもしれません。 あなたが今観ている景色は決して、 あなたを取り巻くすべての世界ではないのだと思いますよ。

photo<外宮>


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本当の絆とは

2012-08-28 12:51:14 | 日記

よく「支えてくれる人が欲しい」「癒してもらえる場所が欲しい」 と訴える人がいらっしゃいます。ただ、そう思っている間は絶対に、 理想の環境を手に入れられることなどできず、 死ぬまで「自分を救ってくれる何か」を求めてさまようハメになりがち。 パートナー・子ども・友人そして占いを始めとするスピツールしかり、 「自分以外のモノはすべて」この世で一時関わり合うだけの幻の支えでして、 各々の人間が自力で踏ん張って立っているからこそ、 他人を手助けすることも可能なのだと。 多くの人間が自力で立つことをやめ、隣の人間にもたれかかれば、 その場にいる全員が将棋倒しのように倒れてしまいます。

大震災の後頻繁に耳にするようになった「絆」という言葉は、 決して「助けてくれる誰か」を求める言葉ではなく、 「自らが誰かを助けようとする意味の言葉」です。 ゆえに最初から「絆」を探し歩いていても、 見つかるのはせいぜい上面の浅いつながりだけで、 期待していた分虚しさや寂しさも増えるもの。 逆に自分自身が、「支えてくれ」「癒してくれ」と 安易に依存され続けたときの気持ちを考えれば、 今の物欲しげな自分の姿が、周囲にどう受け取られているかわかるはず。

これまでたくさんの他者依存傾向の人、スピリチュアル依存者のその後を見てきましたが、 その多くは理想と現実とのギャップに苦しみ、幸せからは程遠い人生を送っております。 あれほどしたくてたまらなかった結婚や子育ても、 あれほどしたくてたまらなかった離婚や再婚も、 「思ったほど癒されない」と感じたとたん、悪夢に変わってしまうのでしょう。 どんなにあがいたところで、自分を支え癒すことができるのは「自分自身」のみで、 しっかりとまっすぐに立っている「大樹」だからこそ、 よい人間関係にも恵まれるのですね。 多くの人間が「支えてもらう人から支える人へ」変化したとき、 本当の意味での「絆」が生まれるのかもしれません。

photo<土宮>


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心の目を開いて

2012-08-27 12:05:09 | 日記

私たちは普段、無意識に「これまでの大前提」を念頭に置きながら、 様々な判断を下しているものです。 「これくらいの天気なら大丈夫」「これくらいの投資なら大丈夫」 「これくらいの遊びなら大丈夫」そして「これくらいの占いなら大丈夫」等々、 誰からともなく言い出した「大丈夫の基準」を鵜呑みにし、 危うい橋を渡っている自分に気づかないケースも多々あり。 今この瞬間にも、あり得ない勢力の台風が、 沖縄地方を暴風雨に巻き込んでいるように、 過去の常識がまったく通用しなくなっているのが現実。 そして今後はさらに、多くの大前提が覆るほどの出来事が、 遠いどこかの国だけではなく、私たちの身近な場所でも起こり始めるのでしょう。

かく言う私も、この平和な現代日本に、 戦争やテロや東日本大震災以上の大災害が迫る現実を、 未だにリアルに想像することはできていませんが、国内外の様々なニュースを耳にするたびに、 「もしこのくすぶっている火種が大きくなれば…」と、 考えられるパターンを最大限にまで予想すれば、 自分自身が今置かれている状況が別角度から見られるはず。 占いやスピリチュアルといった個人的な嗜好も同様に、 洗脳や詐欺や猥褻行為の被害者が出ている事実こそが、 見えない世界を自己利益のために利用してきた人間の末路なのですね。

日常生活の細々とした問題に対する意識を 変えられない(変えようとしない)人は、 災害や事件に巻き込まれる確率も高まりますし、 日本や世界各国で起こっている出来事に 無関心な態度を取り続けるような人は、 日常生活でもトラブルや災難が尽きないもの。 どんなに権力のある人間も、どんなに学力の高い人間も、 「これさえしていれば大丈夫」という基準を明確に示せないのが、 今私たちが生きている大転換期という時代です。 これまでの平和な世の中の常識のほとんどが、 もう通用しなくなっているのは確か。しっかりと心の目を開きながら、これから日本と世界各地で起こる出来事を観察してください。

photo<外宮>


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命が宿る生き物

2012-08-26 14:55:20 | 日記

昨日、以前同じ職場で働いていた友人らと、 その子どもたちが遊びに来たので、 実家近くの山の中まで涼みに行ってまいりました。 都会暮らしをするようになってから、 しばらくご無沙汰していた遊び場なのですが、 久々に訪れてみますと、この猛暑の最中でも、 クーラーなしで快適に過ごせる涼しさに感動。 いくら注意しても握り続けていたゲーム機を自ら手放し、 野山の中でのびのびと躍動する子どもの姿を見ておりますと、 「いかにもこれが人本来の姿」とつくづく実感いたした次第です。

子どもにとって自然というのは、「特別な力を持つ場所」でして、 普段私たちが見過ごしている景色の隅々にまで宿る、 「命の面白さ」を体全体で感じているもの。 特に日本の自然には、木々の一本一本、花のひとつ一つ、 そして水の粒子に至るまで「神様」が宿っており、 人を育み成長させてくれる因子を保有しているのだと。 ゆえに、素直な気持ちで自然と向きえば、 心身を健やかに保てるような恩恵が、 邪な気持ちで自然を痛めつければ、 それ相応の反射が訪れるのでしょう。

日本を訪れた海外の芸術家や文学人や研究者の多くが、 「日本の自然は海外のそれとは本質的に異なる」 という感想を抱くように、日本人のDNAの中に組み込まれている 「自然崇拝の気持ち」には、 森や山や川や海を「生命が宿るモノ」に変える力があります。 自然という対象は単に「無料で食べ物を生産する工場」ではなく、 「人間を守り生かそう」とする強い意志を持った生き物なのですね。 「自然=命が宿る生物」という認識が薄れれば、 必ず食料は枯渇し大きな災害が起こるはず。 未来ある子どもの命を守るためにも、まずは 私たちひとりひとりが自然への敬意を取り戻さなければいけません。

photo<外宮>


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アレッポの石鹸

2012-08-25 12:10:47 | 日記

先日邦人の女性ジャーナリストの方がお亡くなりになられた、 シリアのアレッポという街の名前を聞いてふと思い出したのは、 お風呂場にあった「アレッポの石鹸」でした。 説明書には、 【 今から約1000年前、平安時代の日本から遥か遠い地中海では、 アラブ・イスラム世界が繁栄の最中でした。アレッポもシルクロードと 地中海を結ぶ交易地として大いににぎわい、特産品のひとつとして石鹸も 高い人気を博していました… 】と書かれてあります。 何でも、(良質のオリーブが取れる)地中海の風と、 砂漠の熱風が吹くアレッポ地方独特の気候が、 石鹸作りには適しているそうで、最近では 都内の有名雑貨チェーン店などでもよく見かけるもの。

昨晩お風呂につかりながら、その石鹸を眺めていたのですが、 TVで繰り返し流れるあの悲惨な映像と、 ゆったりとした日本の夜のひとときとが上手くかみ合わず、 なんとも落ち着かない気分に苛まれた次第。 今も激しい銃撃戦が行われているアレッポの街のどこかでこの石鹸は作られ、 はるばる日本の私の家にまで渡ってきたのかと思うと、 「遠い国の話」だった出来事が、 急に日常生活に入り込んできたような錯覚を起こし、 亡くなられた山本さんが生前おっしゃっていた 「伝えることの重要性」「知ることの大切さ」がひしひしと身にしみました。

銃撃を受ける寸前に撮影された映像を観ましても、 アレッポの街では普通に人々が外出していたり、 子どもたちが笑顔でじゃれあっていたりするわけで、 まさかこの数分後に道の向こうから歩いてきた人間に銃口を向けられるとは、 平和な日本の空気にどっぷりと浸ってきた私たちには想像すらできないはず。 ただ実際には、世界各地の至るところで「それが現実の日常」であり、 命の危険にさらされずに生活できる日本の環境のほうが、逆に稀有な状態なのでしょう。 ほんの些細なきっかけで、紛争や争いに至る土壌は、 もうすでに世界のあちこちに広まっております。 アレッポの人々がこれまで通り穏やかに石鹸を作れる日が、 一日でも早く来るよう願ってやみません。

photo<外宮>


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無知からの脱却

2012-08-23 13:08:38 | 日記

私昔から「人が気づかないところ」や「人が見ようとしないところ」が大変気になり、 そのたびにイライラと感情をぶつけては、周囲の人を訝しがらせる迷惑なヤツでした。 以前ネタにしたゴキブリしかり、人目につかない部屋の汚れや、神社の物置き場の乱雑具合、 さらには相手のコンプレックスや、表に出せない裏事情等々(ほとんどが汚点…)、 人に会うするたびに、あれこれとつまらない情報が飛び込んでくるため、 外出もせず家に閉じこもりっきりになった時期もあり。 ただ、考えて見ればこうした自分なりの視点の持ち方が、 仕事や日常生活に役立っている部分も多々あるわけで、 やはり「気づくこと」なくして、人生は深まらないのだなと感じる昨今です。

同じ文章を読んでも、人それぞれ受け取り方が違うように、 「意識をするポイント」によりその後の展開が左右されるもの。 例えば、紛争のニュースを耳にしても、災害への警戒を促されても、 「たいへんね」の一言で済ませてしまう人もいれば、 日本の歴史に触れても、ご先祖の話を耳にしても、 「よくわからない」とやり過ごしてしまう人も多いでしょう。 ただ、頭の片隅で「そういう事実や見方がある」 ということを覚えておくだけでも、 いざというときの選択肢が大きく変わり、 自分の身や大切な人の命が救われるのですね。

今世の中には「何も知らずに」日本を窮地に追い込むような活動に参加したり、 「何も知らずに」日本人の命を削ぐような行為に加担したりする人が増えております。 これは決して一部の人に限った行動ではなく、 すでに私たちの生活の隅々にまで浸透し、 多くの一般市民が「知らず知らずのうちに」 自分で自分の首を絞めるような行為を日々繰り返しているのだと。 ただ漫然と「都合のよい部分だけを見ながら」生活をしたままで、 自然と幸運が舞い降りてくることなどあり得ません。 今日本が置かれている立場と、自分を取り巻く環境を、 別の角度から見直していただければ幸いです。

photo<外宮>


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自分の身は自分で

2012-08-22 12:45:55 | 日記

ここ数日、海外で日本人女性が殺害されるという悲しい事件が続いております。 各々の立場や状況は違えども、異国の地で大切な娘を亡くした 親御さんの気持ちを考えると、何とも痛ましくつらい思い。 日々、新聞の特集記事やTVのバラエティー番組等で、 海外で活躍をする日本人女性の姿をたくさん見かけるものの、 それぞれの日常生活の中では、誌面や画面を通しただけでは、 決して伝わらない現地事情が多々あるはず。 危険を覚悟し最善の準備を整えた上での事故ならともかく、 まったくの無防備な状態で巻き込まれたトラブルは、 やはり自己責任の比率が高いのかもしれません。

最近の若者を見ておりますと、よくも悪くも「緊張感のなさ」を感じるもので、 先日のオリンピックでの日本人選手の活躍ぶりは、 その落ち着きさ加減が功を奏したよい例。 誰とでもすぐ友達になれるオープンな雰囲気は、 昔堅気の礼節を重んじる人から見れば、少々理解しがたい資質でしょう。 ただ、緊張感のなさというのはつまり危機感の欠如とも言え、 海外でのトラブルしかり、昨今増えているネット上の交友問題、 付き合いの浅い異性からのストーカー被害等々、 「ちょっと頭を働かせればわかる展開」に、 考えが及ばない人も大勢いらっしゃいます。

もうすでに日本でさえ、海外と同じように「賢くないと生き抜けない」 「知る努力をしないと身を守れない」土地に変わりつつありますし、 ましてや紛争や経済低下などで、国民感情が悪化している他国に一歩足を踏み入れれば、 無知で裕福な日本人は「奪い取る対象」としか思われていないのが現実です。 もちろん日本にも海外にも、親切な人はたくさんいますが、 友人を作るのも異国での思い出を作るのも、 「まずは自分の身を守った上で」のこと。 自分にとって都合のよい情報だけでなく、 同時に「都合の悪い情報も頭に入れる」ことで、 守れる命と財産は確実に増えるのだと思いますよ。

photo<外宮>


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日本人の誇り

2012-08-21 12:19:19 | 日記

昨日読んだ震災関連の記事の中に、 「本当の復興とは、家や家電や食料を供給することではなく、 自然の神々や死者に対する敬意を取り戻すことだ」 という内容のコラムがありました。 災害で荒れ果てた土地の上に、家が建ちライフラインが復活し、 人々の賑わいが戻ることが「復興のすべて」だと、 私たちはカン違いしているわけですが、 元の暮らしを取り戻しつつある津波被災地の人たちも、 その豊かさと反比例するように蓄積する、 「心の空虚感」に悩まされているのだそう。

よく世間では、戦後の東京が短期間で発展していく様子が、 被災から立ち上がる復興のシンボルとして取り上げられるものの、 よくよく考えれば高度成長期というのは、 「何千年も継承してきた日本文化が失われた時代」でもあり、 その当時の日本は「失われた日本人としての誇りを物質で埋めるため」 あるいは「豊かさと引き換えに日本人としての誇りを捨てながら」 見せかけだけの復興を推し進めてきたのだと。 今また東北の被災地でも、同じような状況が繰り返されている現実に、 「心の拠り所が見つからない」多くの人たちが懸念を抱いているのでしょう。

災害は、国や個人にとって「方向転換が必要なとき」に起こる 自然の神々や先祖からの啓示でして、その規模が大きければ大きいほど、 国全体・国民全体への示唆として真剣に受け止めなければならない出来事です。 箱庭に理想の家を建てるように、ネット上に仮想の街を作るように、 「心の存在」を無視して形ばかり景観の好い眺めを整えたところで、 行き着く先にはまた「荒廃した心が引き起こす大災害」が待っているだけ。 本当の意味で被災地が復興し、日本が復活できるのは、 日本人が日本人としての生き方(誇り)を 取り戻せたときなのかもしれません。

photo<外宮>


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