みなさんこんばんは。
チャラチャラ楽しく生きてましたが、3月11日で、考え方がかわりました。
あれから色々考えてました。
自分の生き方。
仕事の仕方。
これからの会社のこと・・・
また、その後の身の回りの人たちの対応や、この国の政治家含めた堕落ぶりや、被災していない地域の人たちとの温度差等々、本当に考えさせられました。
恐らく、このブログをご覧いただいている皆様も、色々考えられたことでしょう。
私は「身内の死」に直面したことがありません。
だから、身近な人の「死」と言うモノをあまり意識した事がありませんでした。
これはひとつのウィークポイントですね。
未経験の恐怖というか、不安というか、人の死に免疫がないんです。
話は変わりますが、私には10年来の親友がいます。
いつもご紹介している「ササ」は高校時代からの20年以上の親友。
ここで紹介したいのは、私が最も熱く、金も勢いのあった頃、20代後半で知り合った宮城県の役人です。
彼は昔から、「町の人たちの為に俺達は存在する。」と言っては、役所の規則を破って、立場を悪くしていました。
でも、そんな彼だから町の人たちからの信頼は非常に厚く、誰からも好かれる変わった役人です。
今回の震災で彼と音信不通になりました。
1ヵ月経ってもまったく連絡が取れない。
ネットで探すと、私と同様に彼を探している人がたくさんいる。
みんな書き込みに「生きてるよな!」「信じてるぞ!」との書き込み。
私の知っている彼だからこそ・・・信じていながらも「もしかしたら町の人を救うために・・・」と悪い想像もしてしまっていました。
身近な人間の「死」を経験していないので、ものすごく不安で敏感で、弱い自分が毎日見え隠れしていました。
1ヵ月ほど経って、諦めずに携帯を鳴らしてみた・・・
「プルルル〜」
かかった!!
「はい。」
「伸ちゃんか?」
「おう、どした?」
「どしたじゃねぇだろっ!心配したんだぞっ!生きてるのか?」
「おう、大丈夫だ。でも、町の人たちいっぱい死んだ・・・・・」
彼は自分が生きられた事の喜びより、きっと町の人たちがいっぱい亡くなってしまった事実を背負いつつ、弱さや哀しさを表面に出さずに私に現状のアレコレを話してくれました。
おもわず泣きだす私。
「泣くなって・・・笑」
「泣くわっ!アホッ!」
とまぁ、こんな感じ。
生きてました。(笑)
でもね、この震災は亡くなった人はもちろんですが、残された家族、そして生き残った人たちにも過酷な現実をつきつけています。
本当に大変なんです。
今更私が言う事じゃないか・・・
その電話で彼が言いました。
「復興のタイミングになったら、お前に助けてもらいたい事がたくさんある。助けてくれるよな?」 と。
「もちろんさっ!なんだってやってやる・・・」
って訳で、私赤平の「独り東松島市応援プロジェクト」が発足しました。
つづきはまた次回。
次回は「被災地への訪問編」です。
〜つづく〜






















