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ちくわの夜明け

連合赤軍を巡る 【4】 あさま山荘

2010-12-27 05:13:03 | 映画制作
迦葉山、妙義山を歩いた後、軽井沢に移動。あさま山荘のある別荘地へ。
途中、有名な“治安の礎”を見学。線香をあげ、手を合わせる。これは主に、亡くなった二人の機動隊員に対するもの。


供え物には割と新しいビール、酒等が置かれていた。
定期的に誰かが来ている様な気配だった。

今の時期はオフシーズンのため、別荘地はゴーストタウンのように閑散としていた。
また店舗物件には空き家も多く、バブルの名残を感じさせた。
山道をぐるぐる車でまわること数分。

目の前に浅間山が見える素晴らしい立地に、あの、見た事のある山荘が。
「ああ、これか」と一目で分かった。身震いするほど脳内と同じものが、目の前に現れた。

事件当時から下の部分が増築されているが、形や雰囲気は不思議に思うくらいそのまま残っている。
ただ圧倒的に屹立していて、他の別荘郡とは一線を画していた。
幾度もテレビ等で見た、坂口氏がガラスを割って顔を見せるシーン。機動隊突入時に彼らの主戦場となったベッドルーム“いちょうの間”もそこから見える。

あさま山荘に立て篭もったのは、坂口弘(革命左派)・坂東國男(赤軍派)・吉野雅邦(革命左派)・加藤倫教(革命左派)・加藤元久(革命左派)の5名。

道を回ってメンバーの侵入ルート、つまりモンケンで破壊された壁の部分が見える上部分から山荘を見ることに。
その道中、隅の方に小さなお地蔵さんが。ある方が匿名で、犠牲者三名(民間人1と機動隊員2)を慰めるために建てたものという。ここにも手を合わせる。

道には屋根部分が面していた。モンケンによる破壊作戦を行うため、おそらくここに重機が横付けしたのであろう、と思われる小さな駐車場もある。

主に攻防はこちらで行われていたという。こちら側にいくつもの銃眼が作られ、機動隊と交戦した。
報道資料でよく見るのが反対側のため、印象はあちらが強いが、まさにここが戦場となったのだ。



あさま山荘の銃撃戦では連合赤軍メンバーによる銃撃により、3名の死者が出ている。

・田中保彦さん (民間人)
・高見繁光 中隊長
・内田尚孝 警視

田中さんは新潟でスナックを経営していたが、この事件を知り、機動隊の阻止線をかいくぐってあさま山荘まで駆けつけた。
バリケード封鎖された玄関口で「文化人だからあなた方の気持ちは分かります」と言い、人質の牟田夫人との身代わりになることを求めたが、中からの坂口氏による忠告が届かず、警察側のスパイとみなされ銃殺されてしまう。
坂口氏の『あさま山荘1972【下】』には、短くではあるけど、田中さんという人物について描かれている。
一人の男が歩んだ少し寂しい人生が、ひとつの事件と交差したことで起きた悲劇だけれど、それを気にしたり同情したりする人はもう、殆どいないのかもしれない。


山を降りたころにはすっかり暗くなっていた。
せっかくだから、と、植垣さんたちが逮捕された軽井沢駅へ。駅舎は新しく建て替えられているが、当時のものも保存されているとのこと。
もう遅い時間で閉まっていたが、建物の全容を見ることはできた。

すぐ横に派出所があり、植垣さんはここに連れてこられたのか、ストーブを蹴ったという交番はここなのだな、と思い、納得したりした。

交番内には、今でもそこかしこで見る、赤軍の手配書。
この事件はまだ終わっていないんだ、といつも思う。



この旅から帰って二日くらい、頭が重く、なんだかボヤボヤとしたものが心にあった。
何なのか分からないが、憂鬱とも違う感情にとまどった。
おそらく、客観視していたものが突然目の前に現れたことによる驚きが尾を引いていたのかもしれない。
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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (メル斗)
2010-12-27 19:30:23
お疲れ様でした。
不謹慎を承知で面白く読ませていただきました。
自分もあさま山荘を初めて目前にした時
やはり一目でソレとわかり、
事件がフラッシュバックした様な身震いする
感覚に襲われたのを思い出しました。
軽井沢駅前交番は当時はこち亀に出てくるような
いたってシンプルなコンクリート造りの派出所だったと記憶しております。

そーいえば、赤目さんが俺に「一連のこの連赤事件にシンパシーは感じないですか?」って質問
答えそびれてたのを思い出しまして
それに答えるなら
自分の場合はやはりこういった思想を持っているわけではないので
やはり「興味」だけ、それのみで調べているといった感じでしょうか。
それだけに若松監督がおっしゃったという「興味だけでいい」には同じく救われる気がするのです。


っていうことで
今度メイドカフェ連れてってw!

返信する
追伸。 (メル都)
2010-12-27 19:36:34
それとここまでこの事件をこういう形で
踏み込んだレポをした人は知る限りでいないので
これは貴重な資料にもなるでしょうね。
返信する
Unknown (赤目)
2010-12-27 21:31:30
ありがとうございます。
この時はホントにお世話になりました。
メル斗さんの車であさま山荘の前に着いた瞬間のことは、ちょっと忘れられないですね。「あー。わー」って脳味噌大回転でした。

僕も実は、シンパシーと言えるほどのものかどうか・・・どうしても理解できないのが本当のところです。
一方で「ただの人殺し」とはうっちゃることができません。
なんつーか・・・なんでここまで分からないんだろうなあ、という事実の再確認かもしれません。
分からないところから始まって、分からないことで終わるのも、意味があると思うんです。
少なくともこの事件や学生運動の歴史は、風化の一途を辿るのは決定的ですし。

なので、そうです。僕も若松監督のその言葉に救われてます。


>>貴重な資料

映像ではあまり残ってないかもなので、そうだったらいいですね。でも常に頭がついていかず、共産趣味の人たちってすごいなーと思います。
趣味かどうかはとにかくとして、「連合赤軍と『二十歳の原点』」を読み返してみるとやはりすごいと感じます。


では今度、メイドカフェ行きましょうww メイド居酒屋もあるよ。
返信する
Unknown (メル斗)
2010-12-28 01:00:59
>「連合赤軍と『二十歳の原点』」を読み返してみるとやはりすごいと感じます。

共産趣味もいろいろなんでしょうが
連赤に関してはあの方はトップにいますね、誰も敵わないw
でも資料的にはこの前戴いた例の教育実習評価?は群を抜いてると思います。


メイド居酒屋の方がいいや。
返信する
Unknown (赤目)
2010-12-29 00:40:02
ですね。どっから得られた情報なんだろ・・・と不思議に感じます。
すごい情熱ですね。

あの資料はいずれ僕の作品の方で公開しようと思っています。


え、居酒屋がいいんかww
返信する

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