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「愛大生のインド見聞録」より)

2017-08-14 00:09:26 | 日記
約30年前の1988年12月中旬から昭和から平成へ変わる1989年1月中旬までの約1カ月間、インド・ネパールを自由旅行しました。
当時大学4年生、英語もさして得意でなく、大した目的もなくふらりと立ち寄ったマザーテレサの施設。そこで目にしたものは、その後の僕の人生を大きく変えました。

当時の記録を地元の新聞に掲載した記事を投稿します。


カルカッタ市の郊外、カーリーガート寺院の中に、マザーテレサのボランティア施設「死を待つ人の家」というものがある。僕は、半日ではあるが、ここで、ボランティアをさせてもらうことにした。

この施設は、市内で飢えや病気で行き倒れになり死にかかった人々を収容し、治療する所である。しかし、そのうちの多くはそこで死んでしまう。最後ぐらい貧しい人々にも人間らしい死に方をさせてあげようと、作られたのが、この施設だそうだ。

施設の中には、男女50ずつほどのベッドがあり、そこに本当にやせ細った人々が横たわっていた。日に3~4人の死者が出るらしい。
興味半分で訪れ、たった半日しかいられない軽薄な旅行者の僕を、施設で働く人々は、快く迎えてくれた。そして、ここでの半日は、僕に本当にショックを与えたものだった。

スタッフの人に言われ、1人の病人に薬の入った水を飲ませてあげることになった。一口一口、さじで彼に薬を与える。素人目にも彼がもう長くはないことがわかる。そう思うと、恥ずかしい話だが、涙が出てきてしまった。すると、彼は、ほとんど動くこともできなかった彼が、その僕の手首よりまだ細い骨と皮だけの腕で、僕をそっと抱きしめてくれた。涙が止まらなくなった。

言葉も通じない、たぶんこじきとして生まれ、ろくな教育も受けず、人間らしい生き方などほとんどしていないであろう彼に抱きしめられた。その時、漠然とではあるが、確かに僕は、人間の生といったものに触れたような気がした。

これもインドだ。美しい宝石やタージマハールもインドだが、この決定的な貧富の差、こじきとして生まれ、こじきとして死ぬカーストの国、これもインドの現実なのだ。

施設で1人の日本人男性に出会った。もう長くここでボランティアをしているらしい。僕の質問に対しては、彼は何一つ答えてくれなかったが、ただ一言「あなたの力を、ほんの少し、彼らに与えてあげて下さい。」と、僕に言った。

数日後、バングラデシュを旅してきた1人の旅行者に出会った。バングラディシュは、インドの貧しい部分を集めてできたような国だそうだ。その彼がこんなことを言った。「目の前に飢えて死にそうな母娘がいる。自分は金を持っているのに、その前を素通りしてしまう。人の命よりも自分の旅を優先してしまう僕はいったいなんなんだろう。自分がとても小さく感じる」

2人の言葉には、本当に考えさせられるものがあった。


「愛大生のインド見聞録」より)

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22才の僕は、目の前で力尽きようとしている命に何もできない自分に大きなショックをうけた。

では、無力な自分に何ができるか?

それは「知ること」、「伝えること」、「好きになること」だと思っている。

何も大きな行動は起こす必要はない。
「知り」、「伝え」、「好きになる」
そうすれば、自分に何ができるか、小さな答えは見つかる。僕はその小さな答えを、少しだけ小さな行動に移してきた。それは、自己満足かもしれないが、自分の人生の大きな足跡となった。

カルカッタでの短い一日は、自分の人生を変えた大きな一日だった。

玉野市 石井伸弥
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