赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

菅家ヒストリア 第十代 市三郎のシベリア抑留記19

2017-08-13 10:09:37 | 菅家ヒストリア




シベリア抑留
人生の空白
         菅 市三郎 著
(平成5年7月1日発行)

*18よりの続き。

シベリア俘虜生活中に人を裁ける者がいただろうか。
三年目の冬も過ぎて、また暑い夏が来る。
皆んなが異国の丘を歌うようになった。
曲は満州の唄の替え歌で、日本に帰ってみたら
我々より先に内地で立派な曲がついて歌っているのには驚いた。
本当に歌の通りであったとつくづく思う。

一、今日も暮れゆく異国の丘に 友よ辛かろ 切なかろ
    がまんだ 待ってろ 嵐が過ぎりゃ 帰る日も来る春が来る

二、今日も更け行く異国の丘に 夢も寒かろ 冷たかろ
    泣いて 笑って 唄って耐えりゃ 望む日が来る朝が来る

三、今日も昨日も異国の丘に 重い雪空 陽が薄い
    倒れちゃ ならない 祖国の土に たどり着くまでその日まで

運命(さだめ)に天を仰いで泣いた日、
昨日今日のごとく鮮明に印象に残っている。
にくいシベリア、かなしいシベリア、なつかしいシベリア。
亡くなった多くの友の事を改めて思い起こさせることは、
私の体のある限り続くであろう。
度々の、帰還者名簿の中で読み上げられては、
降ろされるたびに後味の悪い思いをしたが、
私の帰還命令は昭和二十三年八月末であった。

東京ダモイも半信半疑であるが、汽車に乗ることが出来た。
残る友に別れの挨拶をして、
一緒に帰れない残留組を思うと後ろ髪をひかれる思いだった。
元気でな、帰ったら留守家族に頼む、と手を振ってくれた。

幾日も貨車に揺られて途中にリンゴ畑があって、
北鮮の羅南のリンゴ畑を思いつつ
ナホトカ港に着いたときは、先着組が大勢いて、
前に着いた人達は、また奥地に逆送された組が多くいる。
お前たちもその組だ、と我々をはらはらさせたが、
日本からの迎えの貨物船恵山丸が入港していた。
人員の都合で乗船することが出来た。
ご苦労様でした、と向いてくれた誰の目からも泪が出ていた。
船員を見ると、外人のように見えた。
我々は山賊に見えたに違いない。
舟の中で夕飯に銀飯と味噌汁の味が忘れることが出来ない。

関東地方が大洪水の時期で日本海が荒れて、
甲板に飛び魚が上がってくる。
捕まえては海に放してやっているうちに、三日目の朝早く、
おい皆んな、島が見えるぞ、という戦友の声に甲板に出てみると
藍色の島影が美しく目に広がって、素晴らしい眺めだった。
戦友たちは声もなく、だんだん近づいてくる陸の山々は霞み、
箱庭のような遠くの景色は荒々しいシベリアの自然とは別世界だ。
やっと長い年月が経ち、祖国に帰れた、
という思いが初めてこみあげてくる。

    *編者注
・異国の丘: 望郷の思いを託した歌で、シベリア抑留者たちの間で広く歌われた。
      戦後復員してきた軍人、中村耕造がNHKの素人のど自慢で、
      作詞・作曲者不詳の「昨日も、今日も」という題で歌い、話題に。
      その後、吉田正らの作品と判明した。
      佐伯孝夫が補詞し、レコード化され、戦後歌謡の大ヒット曲となった。    
・満州の歌: 満州で陸軍上等兵だった吉田正が現地療養中、
      部隊の士気を鼓舞するために作曲した「大興安領突破演習の歌」。
      戦後、シベリアで同じ収容所にいた増田幸治が
      「俘虜の唄える」という歌詞をつけ、副題を「異国の丘」とした。
・帰還者名簿~: ソ連では何事も突然の命令が多かったという。
      帰還者名簿で自分の名前が読み上げられるかどうかは、
      その瞬間までわからなかった。
・ナホトカ港: ロシア極東極東南部の日本海に面した港。
      シベリアからの引揚船のほとんどがナホトカ港を出港地とし、
      「岸壁に母」で有名な京都の舞鶴港を目指した。 
・銀飯:  ぎんめし。白米の飯の事。
・関東地方豪雨: 昭和23年9月15~17日、アイオン台風が関東地方に上陸。
      関東のみならず、岩手県など各地に甚大な被害をもたらした。
      (死傷者は700名を超えた)。

*20へ続く。

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