赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

菅家ヒストリア 第十代 市三郎のシベリア抑留記18

2017-08-10 20:50:28 | 菅家ヒストリア


シベリア抑留
人生の空白
                   菅 市三郎 

(平成5年7月1日発行)

*17よりの続き。

日本新聞と民主教育

二十一年秋の頃より日本人捕虜に共産主義教育を始めた。
日本新聞が音頭をとって、ソ連側の理解の程度、
また大隊の構成された性格などによって多様な特色はあったが、
全般的には好ましい方向にあったことは事実である。
しかし指導者の行き過ぎ、暴力沙汰、
また、新しい特権階級のボス化など悪い面が多かった。

はじめ、友の会運動から始まった。
民主運動グループへと発展していった。
俘虜の帰還もまじかに迫ってきたこともあって、
ソ連側が急激な思想運動を企画したことであろう。
それに伴う吊るし上げ。強制的なソ連共産主義万歳を叫び、
主義に反対する反動分子摘発、人民裁判など、
これほど気色悪い見世物はなかった。

抵抗のできなくなった人をなぶり、
からかって楽しむだけで真面目なものではない。
特に睨まれたら、全員の前で、この者は元憲兵警察である、
俺たちの敵である、というだけで舞台に引きずり出されて
徹底的に罪状を追及されなければならなくなり、
一般の我々は非常に恐れるう様になった、

ほんの一部の者をやっつけるのに、
他の大勢の者が大衆の面前でさんざん侮辱し、
劇的効果を盛り上げようとしたのは明らかに行き過ぎであったと思う。
にせデモクラシーたちは革命家を合唱(うたわ)させ、
討論会をやらせ、吊るし上げをやり、
この闘争ごっこによって新しく憎悪の念を搔き立てたのであった。
委員会(に)反動分子を捺(お)されれば残される のだから
恐怖に皆おびえていて、ご無理ごもっとも、
陰口をきいても逆らう人はいなかった。

自殺者が出るようになった。
我々の班に長野県より来ていた、山崎君がいたが、
民主教育についていけないと遺書を残して自殺してしまった。
移動鋸(いどうのこ=移動ノコギリ)に
肩先より脇下にかけて切断されてしまった。
遺書はソ連兵に取り上げられて内容はわからなかった。

抑留中に暁に祈という事件があった。
抑留中の日本人捕虜を、厳冬の一夜を裸にして
外の木にくくりつけて、暁に至って死亡させるということである。
零下四、五十度の寒風に冷凍人間が出来てしまう。
誰も助ける人はいない。
自分もそうしられるからだ。

   *編者注
・日本新聞:  抑留者向けにソ連が発行した日本語新聞。後に日本しんぶん。
・民主運動:  抑留者(軍人、民間人)たちによる思想運動。
        リーダー格は日本新聞編集部など、ソ連国家保安委員会に
        胡麻をする一部の人間たちで、特権をかさに「吊るし上げ」
        を行うなど、次第にボス化していった。
・委員会:   民主委員会。各小隊長を委員とし、講習を受けてきたものが
        委員長となって発足、いわゆる”民主運動”を進めた。
        それまで抑留者たちの指揮を執っていた大隊長に代わり、
        民主委員長が所内を仕切るようになった。
・残される:  帰国組から、取り残される。
・暁に祈る事件:  モンゴルの収容所で、ソ連軍から捕虜の隊長に任じられた者が、
        仕事のノルマを果たせなかった隊員にリンチを加え、
        多数の死者を出したとされる。その中で、夜中に外に出して
        木に縛り付けられた隊員らによってつけられた名で、
        明け方になると首をうなだれて祈るような格好になる所から。
・そうしられる: そうされる、の方言。         

*19へ続く。

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