赤ひげのこころ

お客様の遺伝子(潜在意識)と対話しながら施術法を決めていく、いわばオーダーメイドの無痛療法です。

菅家ヒストリア・第十代 市三郎のシベリア抑留記12

2017-06-20 16:03:38 | 菅家ヒストリア


シベリア抑留
人生の空白
          菅 市三郎 著
(平成5年7月1日発行)

*11よりの続き。

九月ともなれば零下十度以上に下がる。
建物は穴だらけ。すぐに修理にかかる。
それにお湯の様な食事が終わって、寝るばかりとなると、突然点呼。
戸外に整列、号令がかかる。毎夜の事である。
外に整列しているうちに、室内を物色するのである。
まだ時計など隠し持っている人が居るので、
めぼしいものは持ち去るのである。度々のことで驚かないが、
日が沈むと戸外の気温は急激に下がってくる。

十一月ともなると零下三十度以上になる、。
四十度を超すと作業は中止だが、三十九度になると
作業ダバイ(はやく)が待っている。
ラーゲリ「収容所」の門に来ると、出入りには長い時間がかかる。
監視兵の点呼には、五列に並び、数多くいるので
何度も繰り返すので、たまったものではない。
真冬ともなれば、頭の上の北極星が実にきれいにキラキラと輝いている。
空を見て国を思い出す。

ソ連における捕虜の毎日の仕事は、大部分土木工事的な重労働であった。
冬期には伐採。そして木材をソリで運ぶ。
三km地点の場所にある集積所まで運搬する仕事は
ノルマがかかっている。
体力の著しい消耗にもかかわらず、
ノルマを達成できない班は、いつも減食させられていた。
栄養失調患者を続出させた。

日本人の食糧としてあてがわれたのは馬糧燕麦高粱
それに籾殻入りの黒パンが三百グラムくらいであったが、
配給にならない日が多かった。
高粱は一昼夜くらい炊いてもやわらかくならないので、
それを無理して食べるのだから、そっくり現物のまゝ大便に出てくる。
燕麦は籾の殻の部分がなかなか取れない。
日本では家畜の飼料として用いられたのである。
それでも、あるのが良いほうだ。
収容所(ラーゲリー)に帰っても
高粱飯もやっと雑炊位の軟らかさになって、わずかに歯ごたえがある程度。
しかし飯盒の蓋に一杯ぐらいの量では
空腹を満たすというわけにはいかず、飢餓の状態だった。

夏期は本当に短い。
四カ月くらいであったから、野山は一斉に緑になる。
分配された食糧に、取ってきた野草、あかざ、たんぽぽ、馬鈴薯の葉
ヨモギなどを入れて、塩を入れて薄めて足しにした。
夏期はそれでも良い方だったが、全員栄養失調になっていた。

    *編者注
・ラーゲリー: もともとキャンプ場を意味するロシア語だが、
      抑留者たちは強制収容所の意味で使っていた。
・ノルマ:  ロシア語。一定時間内に果たすように課せられた労働量。 
・馬糧:   馬のエサ。馬の飼料。 
・燕麦:   えんばく。イネ科の植物で、全草を家畜の飼料とする。
      実はオートミールの原料にも。 
・高粱:   こうりゃん。中国北部などで栽培されるモロコシの一種。 
・馬鈴薯の葉: ばれいしょ=ジャガイモの葉。芽や青くなった部分と同様に、
      ソラニンなどの毒性物質が含まれるので、普通は食べない。

*13へ続く。 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 菅家ヒストリア・第十代 市三... | トップ |   

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。