週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

§ 日本人は異星人也や(一国平和主義と日本国憲法)

2018年05月08日 00時00分01秒 | たわごと(少し硬派に振って)
私が思うに:世界に誇れる素晴らしい日本国憲法です
因みに、5月3日は憲法記念日でした。

   『世界の常識をわきまえない、悪い意味での異星人の如くの日本人の続きです。』

憲法学者ですら、議論の分かれるところですが、自己の判断で都合よく使用させていただきます。
国語的な解釈ではなく、素晴らしい立法者が意図した一国だけの平和ではなく、全世界の平和を実現すべきだと。

(参考:日本国憲法の前文の後段の引用です。)
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、 われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。。われらは、②全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、③いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、 この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

(下線と①~③は私が付記したものです。)

以前に愛とは排他的な側面をもっていると§ 平和の祈りで書いた事があります。
外に敵が居れば内部が結束して団結する人間の性です。
限られた空間の地球号の乗客である日本人も多くの国々の人々と一緒に生活するその空間に生存しているのです。
自分だけが良ければ他人はどうでも良いと、憲法の理念は述べているとは思えません。
いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、と高々と日本国憲法前文で謳い上げているのです。
前述の憲法前文①で述べている通り、専制と隷従、圧迫と偏狭を地球から除去する国際社会において行動を起こすと述べているのです。名誉ある地位とは、これらの目的を達成するためには自国のみに止まらず国際的(国連決議に基づき)に行動(PKO活動)するこのに他ならないのです。PKO活動の過程で、時に依っては血を流し武力行使する事もが有っても断固たる決意と信念を持った行動こそが名誉ある一員としての地球人であると思うからに他なりません。

次の項の②全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するとは、信じて何もしないで良いと述べているのではないと思っています。立法趣旨も確認の根底に占められた意図は、平和的に恐怖や欠乏から逃れる事が本来ですが、それでも目的を達成できない時には座して黙認していて良いと述べているのではないのです。武力で恐怖や欠乏を行使する勢力に対して念仏の如く平和平和と唱えろと言っているのではないのです。武力行使の相手に対し自己防衛と緊急避難として武力行使せねば何ら解決しない時もあるのです。
一国の国内において、罪を犯す者に対し強制力のある国家権力や地方自治体の公権力が行使されるのと、変わる事のない地球規模での強制力は武力でしかありえないのです。自国民を保護すると同等に他国や専制に対して平和の内に生存する権利(国民一人一人が平和で安寧に生活するとのいみで、この権利を守る為に行使してはならないとの意味ではないのです。)があると述べているのです。一国平和ではなく人類、大きくとらえ金銭的な援助や武力的な行使も考慮すべきと思うからにほかなりません。只、前提として国際的世論に裏打ちされ支持される事が絶対条件です。この条件を満たす事が出来るのは現時点では国連決議しか存在しないのです。国連決議が絶対ではなく不完全なものであっても今は最善の方策なのです。

③の項は、まさしく一国平和主義ではなく、自国の事のみ専念しては他国の事を無視してはいけないと述べているのである。地球上に生存する全ての動植物は運命共同体と捉えるべきなのです。特に野生動物と異なり集団となり兵器を使っての戦を行う人類です。人道的にも自分の国が良ければ他国の人々が圧政に苦しんでいる状況を黙認する事が許されるのでしょうか。政治道徳の法則は、普遍的なものであり、 この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると規定しべきでした。でも、内政干渉との兼ね合いで積極的に関与することなく、その国の善意にすがり、各国はその責務果たすと信じると規定したのです。
この地球に存在する人類共通の法則に則り、自国のみ良ければよいでは他国から信頼され名誉ある地位を占める事は出来ないのである。真に信頼され政治的な思惑に捉われずに人間の良心に従い行動する事が必要だと思うから声を大にして言いたいのです。自分さえよければ他人はどうでも良いでは、人間的にも名誉ある地位に就かないと思うからに他なりません。


今回、何故に一国平和主義と日本国憲法前文を交えて書いたのかは「護憲」と「自衛隊の役割拡大阻止」のみに血眼になる不思議で書いた通り、根底にある念仏平和主義です。
日報を隠蔽する防衛庁の制服組と事務組を許す事はできません。
どちらに責任があるにせよ、国際貢献として名誉ある地位を受けたいと活動する本旨から外れて抹消を問題にする為に、これからも起きる問題なのです。
再度述べますが、日報を隠すことは国民主権の立場からして良いことで無いことは論を待ちません。
現実と理想の間に派遣されて苦渋する自衛隊です。
武器を持った自衛隊が、南スーダンやイラクなど紛争地域だからと言って、途中から逃げ帰る事が許せれるでしょうか。(日本の世論では是認されても、その場にいて活動している諸外国のNPOや軍隊からはそしりを受けかねません。)
その行動は世界から名誉ある地位に相応している行動でしょうか。
もっと、国際的にも国政的にも成熟した政治的信念を国民が持つべきだからと思うからです。
隠蔽自体は由々しき重大な問題です。
しかし、その前提として未熟な平和平和と唱えれば平和主義達成できると思う野党にも責任があると思うからです。

武力を伴わずして平和や紛争が解決できればこんなに幸せな事はありません。
戦や殺戮が無い世界を望まない人は居ないと思っています。
ただ、実現方法の違いなのです。

三時のおやつのあずきバーです。
猫のコップの水は透明ですが、ヨーグルト水です。
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§ 平和の祈り(自戒の念を込めて再掲です)

2017年04月30日 09時26分55秒 | たわごと(少し硬派に振って)
誰でもが願う平和。

有史以来、戦いを止めない人類。

生存の為に戦いを止めない生き物。

フランチェスコの平和の祈りと言われている文章をアップします。

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りがあるところに真理を、
絶望があるところに希望を、
闇あるところに光を、
悲しみあるところに喜びを。

ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者に。
それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
許すことによって赦され、
自分のからだをささげて死ぬことによって
とこしえの命を得ることができるからです


以前にも載せていますので今回は再掲です。
この所生臭い武力行使のスレッドが多くなっていますので自戒の念を込めての再掲です。
平和の祈りでヒットした私の過去のスレッドはこちらです。
コメント (2)
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§ お百度詣

2009年03月07日 00時00分01秒 | たわごと(少し硬派に振って)
【平和の祈り】つながりで。
カテゴリーはたわごとになっていますが、決してたわごとではありません。

明治の女流歌人の大塚楠緒子が日露戦争の時に謳った反戦歌です。
以前にアップした与謝野晶子の『君死に給う事ふことなかれ』と同じ多感な頃に知った詩です。


【お百度詣】

ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし國を思へども、
三足ふたたび夫(つま)おもふ、
女心に咎(とが)ありや。

朝日に匂ふ日の本(ひのもと)の、
國は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御國(みくに)と我夫と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度まうであゝ咎ありや

夫の命を投げ出して、お国の為に尽くすのが日本国民の義務であり、美徳とされた時代である。
その時の、夫の命と国の存亡を思う女心を短い詩の中に表している。
詩もすばらしいが、第二次世界大戦時のように非国民として言論が封じられなかった事にも素晴らしさを感じずにはいられない。

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§ 平和の祈り

2009年03月04日 00時00分01秒 | たわごと(少し硬派に振って)
パンダさんのブログ『パンダの気持ち』で知った「平和の祈り」。
勿論、たわごとではありません。

この平和の祈りを読んで未だ纏まりがありませんが自分が感じたことを。

アッシジの聖フランチェスコ

ああ主よ、
わたしをあなたの平和の道具にしてください。
憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
争いのあるところにゆるしを、分裂のあるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、
誤りのあるところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、
闇のあるところに光をもたらすことができますように。
ああ主よ、わたしに、
慰められるよりも、慰めることを、
理解されるよりも、理解することを、
愛されるよりも、愛することを求めさせてください。
わたしたちは与えるので受け、
ゆるすのでゆるされ、
自分自身を捨てることによって、
永遠の命に生きるからです。


反語的ではあるが、「平和」と声を大にして叫ばなければ手にする事が出来ない平和。
平和を手に入れる事も、平和を維持していく事もそれほどまでに大変な事である。

心の平和 と 身体的平和

 ○ 愛と裏腹の戦い。
愛には排他的な側面は本来持ち合わせていない筈が、歪んだ愛が排他的な側面を持つ事に繋がり易い。
個人個人でいさかいが発生すれば喧嘩である。
個人の喧嘩であるれば相手を負かすべく努力する。
身近な所では、兄弟喧嘩であろうか。
兄であれ、弟であれ、姉であれ、妹であれ、自分以外の兄弟に負けたくないのである。
即ちそこに存在するのは、誰しも自分自身が一番大切である。
自己愛なのか。


 ○ 家族間のいさかいであれば自分の所属する家族を応援する。
いさかいは無いにしても、スポーツ対抗など自分の家族の勝利をねがう。
兄弟喧嘩していた兄も弟も一致団結して他家と戦う。
家族愛なのか。



 ○ 都市間でも自分の所属する所を応援する郷土愛。
高校野球など自分の所属する都道府県を応援する。
排他的に他の都道府県を打ち負かす事を願う。


 ○ 国家間の対立になれば戦争である。
国を守り、地域を守り、家族を守る為に戦うわけである。
今まで国内部で抗争を繰り返していた組織間にあっても協力し合い、自国の敵に戦火を交える。
独裁者が自分の地位などが危うくなるとよく使う手法である。
自国の外に敵を作る事により、国が一つに纏まる。
自国での地位が危うくなると自国外に敵を作り戦争の脅威を煽ることにより団結して忠誠心を引き出す。
実際に煽るだけで済まず、隣国と戦火を交える事態になる。

個人から国家間の戦争へと拡大してきたが、何時も自己が存在する組織・国家などが忠節の対象である。
だとすると、国家間の戦争ないし紛争を無くす為には地球外からの敵を作らねば人類は、内部間での殺戮たる戦争を止める事がないのであろうか。



反対に、国外の敵が消滅した時は、団結が崩れて内部抗争・紛争即ち内戦が始る。
東欧の多民族国家も外部に仮想敵国が存在した時は、民族の違いを超えて団結していた。
其れが、冷戦が終結してソビエト連邦の崩壊により、外部からの危険が減少した事で、内部での異民族間の殺戮の始まりである。
かっての、ユーゴスラビアなどが良い例である。
五の民族、4の言語、3の宗教、2の文化と云われて一つに纏まっていた国が、強力な指導者が無くなり、外のタガが緩んだだけで、民族浄化をするが如くの殺戮戦争の勃発である。
人間の所業とは思えない戦争犯罪の数々である。
NOTO軍などの兵力や国連などの兵力により和平が保たれているにすぎない状況である。

聖フランチェスコが説く宗教者たる非暴力の考えは重要である。
この考えが通じる世界であって欲しいと願わずにはいられない。

もし、最後まで読まれた方はご苦労様です。
まだ思考途中のまとまりの無い内容の為さぞかし苦労された事と思います。
コメント (2)
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