週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#014 -’08. 別荘地の成長曲線

2009年01月17日 00時00分01秒 | 別荘生活
人間を含む生き物も、企業も成長曲線があるように別荘地にもある。(独断と偏見の私見である。)

読み返して成長と言う語彙に疑問を感じた。
別荘に成長とは。一生の方が良いのかも、でも、成長で。
何を定義して成長としているのであろうか。
世間の定義とは乖離していても、勝手に思うがままに述べてみよう。
形のあるもの総て、生命のあるもの総て。
すなわち、成長期、安定期、衰退期と。
別荘地も此れが当てはまる気がする。
特に巨大開発の別荘地には、当てはまる感じがする。
区画整理が完了して区画ごとの敷地が販売される。
また、建物建築済みで建売物件として販売される。


 ○成長期

区画が販売されて新しい別荘が建つと、持ち主は利用を開始する。
そうすると、山野で家が無かった土地に家が並び始める。
自然界の山野が人間の住む生活の場に変わり始める。
生活空間が生まれる訳である。
新しい空間に家を建てる為に木々を伐採する。
隣も、又、その隣もと木々が消えて家が建ち始める。
家が建つと、自然への憧れか、自宅の周りに自分好みの木々を植え始める。
それも、自然の植生を意識すること無しに。(自分の懺悔を含め)
または、都会での満たせない庭いじりの欲求のはけ口として、花壇を作る。
その土地に自生する草花すなわち山野草に配慮する事も無く、自分自身の好きな花を植る。
見た目は緑多き土地になり、綺麗な草花が咲きだす。
個人個人が思い描く価値観や美的感覚により庭造りである。
同じ緑の地でも自然破壊している意識など無しに。(自戒の念を込めて)
自然界の大地に根ざす山野草や熊笹などを省みる事もなしに。
自然破壊する別荘族。
この時期すなわち自然破壊して庭作りしている頃が別荘地での成長期とでも言えようか。
庭造りも、別荘への訪問回数も多く都会や住んでいる地域と異なる安らぎを得ることができる。
その上、購入して新築して時間的経過が少ない為、年齢的にも経済的にも社会的にも別荘竣工時と大きな変化がない。



 ○安定期

4~5年すると別荘地での諸々の作業など含めて一通り体験済みと成る。
この安定期が何年に亘るかは、人それぞれ異なる。
成長期から短い安定期を経て、衰退期になる人が居るのも何ら経済界と変わることがない。
ここで言う所の安定期は、定期的に別荘を利用する期間をさす。
大きな変化もなく、定期的な維持管理もなされている健全な建物。
周期的に手入れされている敷地内の庭など。
別荘購入者の年齢や健康状態、経済状態、社会的環境などに大きな変化が無い安定した期間である。
この、三つの要素に変化の無い事が別荘利用の安定期の長短に影響するみたいである。
この三要素のどれか一つでも欠けるとモチベーションの低下につながる。
別荘を利用して心身共にリフレッシュしたいと願うモチベーションの維持が重荷になりだす。

建築時に多く伐採した木々、竣工後に新たに植えたり生えてきた木なども落ちつきだす。
自然界の中に出来た家も時の経過と共に周りの風景に溶け込み一体化して違和感を感じさせなくなる。
家の周りの木々の生長が極端な人工的な関与を薄めて、落ち着いた景観をかもし出す。
別荘利用者も落ち着いて、こちらでの生活パターンが出来上がる。
それは、人それぞれ千差万別である。
別荘地を訪れる人々にとっても一番心地良い時である。
別荘地の価値としてもこの時期を過ぎると急激に低下すると思われる。


 ○衰退期

時の経過と共に所有者の年齢も経済状態も社会的環境も健康状況も変わりだす。
これらの状況の一つ又複数が変化する事により別荘への訪問回数が減少する。
別荘への熱意の低下も訪問回数の減少に影響することは勿論である。
訪問回数が減少し出すと、比例するが如く敷地の管理も建物の管理もおろそかになる傾向が出てくる。
建物も管理されずに窓も開けられないで長期間の放置に合うと、急激な老朽化や劣化などが始る。
別荘地自体が本来自然の中の山野である。
花壇に成った庭なども本来そこにあるべき姿の植生に戻りだす。
本来の植生に戻るだけであるならまだしも、一旦都会から持ち込んだ草花などに付着して本来その地にない外来種が根付いてしまう。
昔から自然と共存している里山であるならばいざ知らず、自然の領域まで入ってしまった別荘地では問題である。
自然と人工的なものの共存地帯である里山。
一方の山野の中の別荘地。
人間が自然を侵食した姿をとどめるし、別荘の管理が行き届かなくなると廃屋に近づきだす。
良く使われて良く管理されている家は一目で分かる。
反対に使用されていない別荘も一目で分かる。
その差は歴然としている。
人間の心理として、使用しない所に維持管理の経費をかけなくなる。
その事が更なる追い討ちとなる。
無意識に人それぞれが費用対効果を考えてしまう訳である。
利用もしない所に投資するのは勿体無い、或いは、利用しない事で別荘がどの様な状況に置かれているかが分からなくなる。
このような衰退期に入った所は、周りの環境も低下させる。
不動産価値的にご近所を巻き込み景観的な環境の低下を招くのである。

我が家は何処の領域に入るのかな。

街に於いても素敵な管理された家並みはそこの不動産価値を高めます。
反対に、管理されない家並みはその街の不動産価値を低下させます。

至って独断と偏見に満ちた個人的な見解です。

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2 コメント

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自然のままに (虹色-D)
2009-01-17 03:23:52
難しいことは言えませんが成長期の要因も作ってはいけないかも・・・
自然は自然のままに・・
難しいことだと思います、何かを作らなければそこに発展もないし、産業も経済も生まれてこない!
でも生み出せば、そこに破壊も生じる。
ほとんどのものが飽和状態にある中、手をつけないことも大事かな?
すみません、生意気言ってしまってm(__)m
自然との共存 (管理人)
2009-01-17 08:02:10
おはようございます、虹色ーDさん。

生意気を言ってしまってなんて事は決してありません。
貴重なご意見ありがとうございます。
自然との共存と言うか自然との共生は大変難しい事を思いしりました。
敷地内に熊笹が結構生えています。
本来自生している植物です。
花壇にすべく刈り取り下ところがありました。
刈り取っても直ぐに生えてきます。
数年掛けて刈り取り花壇にしたとこは、この時期凄く長い霜柱ができます。
熊笹の生い茂る所は霜柱がたちません。
本来あるべき姿の自然の所を開発して住宅地にするのですから、最小限の開発に留めるべきだと、気づいたのが最近です。
それ以後、人工的な花壇と芝生も最小限にしているつもりです。
自然からすれば、多分最小限だと思っていない邪魔者だと思います。
野鳥への給餌も真冬のみにしています。
自然との関わりは難しいですね。

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