アジータひとりごと

不思議に満ちたこの宇宙。。。
美しい自然に溢れた、
この地球での生活の、
夢の1ページ。

メール消滅の怪

2012年05月18日 | 日々の気づき

久々のブログ更新です。

人生、理解不能なことはよく起こるけど、

昨日からの出来事はかなりのもんでした。

 

昨日の午後のこと、

iPhone で受け取った数日前のメールを見ようとしたところ、

なぜか見当たらない。

削除した覚えもないのにおかしいなと思っていたら、

なんと、その後、新しいメールを受信するたびに、過去にさかのぼって、2か月分ほどのメールが全部消えていったの。

受信したてのメールは、とりあえずは読めたものの、次に受信してしまうと、もう影も形もない。

これは尋常ならぬことがおきていると思いつつも、雑事に紛れ、帰宅後確認したら、

今年のメールがすべてなくなって、最新履歴がが去年の12月何日になってた。

夜寝るころにはそれが、去年の9月になってて。

 

朝起きてみると、7月になってた。

なので朝一で、さっそくソフトバンクのサポートセンターにSOSしてみる。

と、そっちでもよく分からないという。

とりあえず、メール送受信の一括設定というのをやり直したが、サーバー上にも消えたメールはないと言う話。

え〜え〜え〜なんじゃこりゃ〜〜〜!

まあ、万が一重要なファイルが来たとしてもPCに転送してたし、携帯メールだからね、なくなって絶対困るってもんでもないんだけど、

この1年弱の月日のやりとりが全部パー。

携帯がアルツハイマーになっちゃったようで、かなり脱力・・・

 

ほかにこういう報告はないのかときいたら、今まで1件あったと言う。

私のような思いをした人が少なくとも一人はいたらしい。

さらにソフトバンクでは、アップルのサーバーなので、不具合があっても、このくらいの頻度じゃその原因を突き詰めるのは至難の業というか、まあ要するにやる気もないし、できないとのこと。

何がなんだか分からないまま、数百件のメールがブラックホールに吸い込まれていったというお話。

一括設定後、受信したメールはちゃんと残るようになったので一安心。

 

人生、ほんと何が起こるかわからないよ。

もしかして、これからもこんなことが起こるかもしれないから、念のため、知らせておくね。

 

万が一に備え、みんなも気をつけてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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インド・プネー冬の旅・その3 クリエイティビティ

2012年02月26日 | インド

今回の瞑想リゾートでの滞在は、クリエイティビティづくし。

まずはサティヤムの歌のグループ、そしておなじみミーラのペインティング。

5日間の歌のグループは、ボイス・トレーニングが主かと思っていたら、
歌を自分で作詞作曲し、4日目にリゾートの舞台でみんなに披露するという、一連のプロセスから成り立ってた。

そう、そのプロセスそのものがとっても貴重だった。

結果はさておき^^;

明け渡し、任せるプロセスだったよ。

「自然の中で歌が降りてくるのを待っててね」

そう、クリエイティビティ、自分が「やる」ものじゃなくて、

彼方から降りてくるものなんだよね。

中空の竹になる。。。

 

それは、絵も同じ。

9日間の新しい体験、濃かったな〜

 

…とはいえ、自分が空になれなかった分だけ、その間、いろんなものを見せられたよ。

自分の癖がプロセスの中で、いろんな形で現れる。

幼いころの条件づけや、傷と向き合った日々でもありました。

いい、悪い、という判断を持ち込まずにね。


それは、痛いものだったけど、

ただ、それと正直に向き合い、なるべく包み隠さず、正直にシェアすることは、

大きなヒーリングでもありました。

 

歌の発表会の夜は、これ以上ノリのいい人たちはいないっていう素晴らしい観客の人たちにサポートされて、

15人の参加者が、みんな独自のカラーで、すてきな舞台を飾りました。


ありがたいことだよね・・・

 

今、歌うのは、何よりの喜び。

3月17日の、OSHOのエンライトメント・デイのミュージック・セレブレーション

一緒にお祝いできたら、とってもうれしいな。

http://www.geocities.jp/zorbalovebuddha/20120317.html

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インド・プネー冬の旅・その2 無くしたもの・得たもの

2012年02月20日 | インド

冬のインド滞在では、いろんなものをなくした。

思い返せば、出かける前の日本でも、いざとなると必要なものが見当たらなくって、あちこち探すことが多かったなあ。

シンプルに年とったんかな〜なんて思ってたけど、

インドでいろんなものなくして帰ってきたら、憑き物が落ちたように、帰国後は、そういうこともなくなったよ。

憑き物まで置いてきたのかな、なんてね(笑)。

 

今回、いろんな物なくしてみて、

どれほど物をぞんざいに扱っていたのかにいやおうなく気づいた。気づかされたよ。

失ってみて、初めて分かった、いろんな形でサポートしてくれているものたちのありがたみ。

 

プネの瞑想リゾートを後にした日、

ゴアに行く飛行機が3時間も遅れ、予想よりはるかに遅い到着で、

とにかく夕ご飯を食べましょうって、とりあえず入ったレストランからホテルに戻ったら、iPhoneがないことに気づいた。

これが、この「手放しの旅」のハイライト。

いや〜、これはもう大変なショック!!!

とにかく回線停止しなくっちゃって、夜中なのに、もう必死で電話したりね!

(まじゅぬ〜寝入りばなを起こしちゃってごめん! ほんとにいろいろありがとう!)

 

ともあれ、帰国してから、

覚えがなかったんだけど、ちゃんとバックアップもとってあったし、

いつも使ってたクレジットカードには保険がついていたってことが分かった。

実質的には、今回の旅の、思い出の写真とビデオがパーになっただけですんだっていう、

最小限の被害ですみました。

 

なくしたものはもういらなくなったものだ、ってもし考えるなら、

メガネ=古い物の見方

時計=今までの時間に縛られた生き方

靴=古い社会的な役割

iPhone=古いコミュニケーションの仕方と、過去の思い出への執着

なんて、こじつけもできますね、ウフフ。

 

ともあれ日ごろ、どんなに上の空で動いてて、

どのぐらい夢うつつだったかに気づかされた、

禅スティックたっぷりの、

意味深い今回のインド滞在、

痛かったけど、ありがたいお手前でありました。

 

 

 

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インド・プネー冬の旅・その1 OSHO瞑想リゾート

2012年02月13日 | インド

去年の末からインドに行って来た。

秋に呼びかけたら、行きたいという人が5人も集まり、ミニツアーを敢行。

3ヶ月ぶりのプネーの旅でした。

今回は、プネーのOSHO瞑想リゾートにちょうど1か月の滞在。

瞑想センターの敷地内に宿泊するのは初めて。

朝6時のダイナミック瞑想に向かうとき、辺りはまだ真っ暗で、

OSHOが毎日の講話をしていたかつてのホールを横切って、今のピラミッド型の瞑想ホールまで、緑溢れる静かな敷地を歩いていく。

瞑想が終わる7時には、辺りも明るくなっていて、

木々の間から昇ってくる太陽に向かいながら、

にぎやかな小鳥たちのさえずりに包まれて

のんびり静かにチャイをいただく。

朝一番のそんな時間がお気に入りでした・・・

 

OSHOがボディを離れて早22年目、

アシュラム(修行場という意味のインドの言葉、今では公にはOSHO・インターナショナルメディテーションリゾートと呼ばれています)は、どんどんと装いを変えています。

古い弟子がかもし出す、独特の静かで瞑想的なバイブレーションに加え、

誰かがボンベイのディスコのようだといってたけど、クリスマスには新しい透明なピラミッド型の建物が誕生。

とにかく人生楽しんじゃえ!!!って側面も充実させて、新しい、いきのいい人たちをどんどん惹きつけている。

その脱皮の仕方は、ある意味お見事だよ。

 

もちろん新しい人たちも高いお金(1日の入場料・瞑想ホールの瞑想代込み=980ルピー、約1,500円)を払ってただ遊びに来ているわけではない。

瞑想ホールでは毎日瞑想が目白押し、

特定の課題にフォーカスした、セラピーや瞑想グループ、セッションなどのプログラムも充実。

みんな自分なりの興味と感覚に従って、いろんな過ごし方ができるところだよ。

 

 

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お誕生日はみんなのお祝い

2011年10月13日 | 日々の気づき

昨日はお誕生日。

mixi, Facebook というソーシャルネットワークはこんなとき、とっても威力を発揮して、とってもたくさんのお祝いメッセージをもらったよ。

1年に一度、だれでも主役になる日でもあるけど、

みんなのためのお祝いで、

お祝いする側も、される側もないって感じたな。

この世に肉体をまとって生まれてきたっていう奇跡。

その奇跡を素直に感謝する日。

 

昨日は気持ちのいい晴れで、

自転車で近くの森に行った。

全身に感じる風が気持ちいい。

 

そして夕方にはゆっくり温泉につかって、長年働いてくれてるこのからださんをねぎらいながら、

月の出を待ちました。

昨日は満月だったの。

お誕生日に満月なんて、一生のうちでもそんなにあるものじゃないよね。。。

満月の光は、とっても涼しくって、優しくって、祝福そのもので、

とっても静かでした。

おいしい食事も、からだがあればこそ。

 

夜中にはまた、満月の森の近くまで自転車で走った。

辺りはまったく明かりがないけど、満月の夜は明るいのよね〜

 

気持ちよくって、ありがたい1日でした。

 

形となって生まれてきたからには、その形はかならずまたなくなるって、

誕生と死はセットだから、

どっちもお祝いできるように、

毎日を生きていきたいね。

 

 

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The Sun Rises in the Evening 夜、陽が昇る by OSHO

2011年09月30日 | 瞑想、目覚め

問い:あちこち走り回り、話し、笑い、働き、読み書き、夢見たりていますが、実のところ、背後でドアが閉じ、目を閉じると、暗いのです。思考や感情があろうとなかろうと、暗闇です。朝も夜も、いつでも、内側は暗い。
見る者にとって、内側を見ること、それは闇です。「私」とは暗闇なのですか。誰がこの質問を書いているのでしょう?

 

そうだ、「私」、エゴとは闇だ。そしてもし内側を見て、見る者がいれば、闇にとどまることになる。朝だろうと夜だろうと違いはない。思考があろうとなかろうと。なぜなら私そのもの、見る者こそが本質的な思考、根源的な思考なのだから。それはあらゆる思考と感情を含んでいる。あなたは見ることができるが、あなたはすでに自分を2つに分けている:見る者と見られるものと。そしてこの分離、この二元性、この分裂が闇なのだ。

一つであることは輝き、光だ。二つであることは闇だ。だからいつでも瞑想者が内に入ると、最初は常に暗闇に遭遇するし、その闇は恐ろしい。だれが闇に入っていきたいだろうか?人は恐れ、逃げ出してしまいたい。最初は常にそうだ、しかし、もしどんどん続け、光を求めることさえやめるならば・・・なぜ求めることができようか。もし暗ければ暗いのだ。そして闇は完璧に正しい――そして闇が完璧に正しいとき、闇は絶対的に明るい。

それを受け入れ、愛し、抱きしめなさい。それと一つだと感じなさい。そして分裂が消えるとき、見る者と見られるもの、観察する者と観察されるものがないとき、突然光があるだろう。燃料のいらない光、永遠の光だ。

しかしもし分かたれていれば、あなたに光は起こらないだろう。だから何をすべきだろうか。この闇を愛し、この闇に落ちて、消え失せる必要がある。光を探さないことだ。光を探すことがあなたを暗闇に対して疎遠で、愛のない、オープンでない状態にとどめ、そのことが光へのバリアになる。光を探さないこと。暗いならば暗いのだ。何か他のものを求めることなく、闇であるにまかせ、楽しみなさい。暗闇のどこが悪いのかね。

しかし私たちはある種の物事を楽しむことができないように条件づけされている。私たちは光だけを楽しみ、暗闇は楽しむことはできないという風に育てられてきた。さて、これはとてつもなく美しいもの、生き生きとしたものを逃しているということだ。

暗闇には暗闇の、光には光の喜びがあり、理解している人は、両者を楽しむ。そして彼はどんな葛藤も作り出さないし、選びもしないだろう。闇には静けさがある。光も持ち得ない完全な静けさ。そして闇は無限で、どんな境界も知らない。光には常に限界がある。それは決して無限ではなく有限だ。光は来ては去るが、闇はとどまる。闇は永遠だ。

この体験ゆえに、インドではクリシュナを暗い者として描いてきた。彼の別名はシャーム、暗い、「黒い者」という意味だ。闇には深みがある。白さは薄っぺらで、いつも表面的に見える。闇を楽しんでみなさい。その無限さ、広がり、永遠を感じなさい。それに触れられ、動かされてみなさい。それはほんとうにベルベットのようで、独自の美しさがある。そして闇を愛することができなければ、あなたは光を知る権利を稼ぎ取ってはいない。

あなたが知っている光は外側の光だ。それは闇に反している。あなたが内なる闇を超えたとき知る光は、闇に反してはいない。それは闇が持っているすべてを含み、さらにそれ以上のものだ。覚えておきなさい:外の光は真の光ではない。真の光はこの光とこの闇のすべての質を含んでいる。それは二元性が出会い、お互いに溶け合う偉大な輝きであり、そこでは二元性がすべての美しさをお互いに注ぎ合い、新しい美が立ち上がる―統合の美だ。

だから覚えておくように。光と闇についてのすべての知識を後にする必要がある。目を閉じるとき、あなたは外の光を後にしなくてはならない;今やあなたは闇へと入る。それを愛し、その歌を歌い、それと踊りなさい。そして光を求め続けないように。光のことは忘れなさい。この闇がそこにあり、それは楽しむべきものだ。この闇、この静けさ、このベルベットのような広がりに対し、存在に感謝する必要がある。そしたらある日、観察する者と観察されるものがもはや二つではなくなる。

何かを愛するとき、二元性は消える。闇を愛すれば、あなたは闇になる。そして二元性がないとき、まったく違う質の輝きがやってくる。それは太陽、電気、月からやってくる光ではない。そうすればあなたは、あらゆる光と闇の根源そのもの、存在の根、その土台そのものへとやってくることになる。

暗闇があなたの中に現れているのは美しいことだ。あなたは偉大な一歩を踏み出している。さあ、それと戦ったりしないように。そうでないと、次の一歩が妨げられてしまうからね。それが先日私が言ったことだ。もしシジフォスの神話が禅マスターによって書かれたならば、まったく違ったものになっていただろう―神々は敗北しただろう。禅マスターを罰することはできない。シジフォスは楽しみ、踊り、恍惚となっただろう―ゴールはないのだから、失敗もない。岩が谷に向かって滑り落ちてきたとき、彼はその音が谷に響き渡るのを聞き、楽しんだことだろう。そして大喜びで下りの旅を始めたことだろう。彼は谷の美しさも知っているからね。

そう、山の頂上の、陽の当たる頂上の、開けた空の美しさはある。けれども、谷の美しさもある:隠れ家、安全性、美しい鳥たち、川、友人たち、そしてパブ。シジフォスはパブや友人や愛する人たちのことを思い、山から踊りながら戻ったことだろう。彼の子供たち、恋人が待っていたに違いない。そして彼は美しい、ゆったりとした夜を過ごし、朝になれば、また始めたことだろう。岩をまた山の上まで持ち上げる。また新しい一日、新しい冒険。そして朝には彼はまた歌を口ずさみながら始めたことだろう。その物語はまったく違ったものになったことだろう。

ギリシャ人には、論理的なマインドには想像できなかった。その美しさを想像するには、非論理的なマインドが必要だ。そう、あなたが内に入り、闇があるとき、ギリシャ人のシジフォスにならないように。私の言ったことを覚えておきなさい。闇を愛しなさい。それは贈り物だ。すべては存在からの贈り物なのだ。それほど美しい闇を与えられたことに対して、感謝の念を感じることだ。それはあなた独自のもの、まったく清らかで、純粋で、穢れていない。それにくつろぎなさい。それにくつろぐにつれ、それは消えていく。それに完全にくつろいだとき、それはもはや見つからない。そうすれば、あなたはあらゆる闇と光のまさに根源にたどり着いたのだ。それはこの光ではなく、この闇ではなく、その何かを含んでいる。しかしそれはとてつもなく広大だ。だからこそ、神秘家は常にそれを言い表すのに困難を感じてきた。

言い表しがたく、表現しがたく、定義しがたいもの。

しかしあなたは偉大な一歩を踏み出した。闇に入っていくのは偉大な一歩だ。禅の人はそれを、「偉大な懐疑」、キリスト教の神秘家は「魂の暗夜」と呼んでいる。しかし朝は、それに続いてやってくる。魂の暗夜は、まさに影のようにすぐそこに朝を携えている。闇について心配しすぎたり、取り付かれすぎたりしないように。でないと、それに従っている、そこまでやってきている朝を見失ってしまうだろうからね。

これが生を見る見方だ。そしてトゲがもはやトゲでなくなれば、それにはそれなりの美しさがある。そうすれば、サボテンもバラと同じように美しいし、トゲの美しさが見えるとき、あなたのハートは広がっている。バラの美しさを見るのは大したことではない―誰にでも分かるし、あなたに何も要求されていない。バラは明らかにそこにあり、おろかな人にもその美しさが見える。けれどもトゲの美しさを見るためには、偉大な知性が必要であり、あなたには多くが要求される。それはチャレンジだ。あらゆるところに美しさを見ない限り、あなたは真理を見出しはしないだろう。どこにいてもくつろいでいるのでなければ、決してくつろぐことはできないだろう。

だから、闇の中でくつろいでいなさい。あなたの中に何が現れてきても、贈り物として、喜びとともに受け入れるように。そして、ときには贈り物だと思うのが難しいこともあるということは分かっている。あなたが病気のとき、当たり一面真っ暗なとき、惨めなとき、愛が壊れたとき。愛する人が亡くなるとき、どうしてそこに美しさを見ることが出来るというのだろう? 死が起こっている―美しさを見ることは難しい。それはただ、あなたが美に対するとてもとても狭い定義を持っているということ、あなたがリアリティに対し、ある定義を押し付けているということを表している。その押し付けを落としなさい。リアリティを解き放ちなさい。

つい先日、私はハシッドの神秘家ズシアについての話を読んでいた。彼は山に行こうとしたとき、たくさんの鳥がかごに捕らえられてにいるのを目にした。ズシアはそのかごを開けた。鳥というのは飛ぶものだからね。鳥はすべて飛び去り、男が家から怒って飛び出してきた。「何をしやがったんだ」 ズシア「鳥は飛ぶものだから。ほら、素晴らしく美しく羽を広げていますよ」

しかし男はそうは思わず、ズシアを張り飛ばした。一日の仕事がおじゃんになってしまったのだ。市場に行って、鳥を売ろうと思っていた、それはそれは苦労したのに、ズシアはおじゃんにしてしまった。男はズシアを叩きのめしたが、ズシアは笑って楽しんでいた・・・男は殴っていたのに。彼は、こいつは頭がおかしいと思った。

ズシアは動き出した・・・男が殴り終わったとき、ズシアは聞いた。「もう気が済んだか、それともまだやりますか。終わりですか。僕はもう行かなきゃ行けないから」男は返答できなかった。何が言えるだろう。この男はたんに頭がおかしいのだ。そしてズシアは歌い始めた。彼はとてもハッピーだった、鳥たちが空を飛んでいたから。そして殴られても、傷つかなかったから。それを贈り物として受け取ることができたから。それでもなお、生に感謝することが出来たからだ。不平はなかった。さあ、彼はこの状況をすっかり変容してしまった。

これを学ぶ必要がある。ゆっくりゆっくりと、人はすべてを、死でさえも受け入れられるほど広大になる必要がある。そのときにのみ、歌がほとばしり出る。そう、闇ですら受け入れられるほどに。そのときにのみ、光が訪れる。あなたが夜をトータルに受け入れるとき、朝を求め、あこがれたりすることがないとき、朝はやってくる。これは、そのようにやってくる。これが、その来方だ。

(第6話 第2の質問)

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さよなら原発デモ と Ah This!!!セレブレーション

2011年09月21日 | 瞑想、目覚め

9月24日のAh,This!!! セレブレーションがいよいよ近づいてきた。

この時期、関東ではセレブレーションが目白押しです。

前日にはOSHOジャパンで、

10月始めには高尾で1泊2日のOSHOフェスティバルがある。

3.11以後、原発事故と放射能の影響から逃れられない関東、

今日はさらに台風がやって来つつあるし。

さすがにただうれしー、たのしー、ってわけにはマイリマセン。

セレブレーションと言えば、お祝いってことだけど、

この時期に何がお祝いかって、

OSHOの弟子ってヤツラはまー、脳天気というか、頭オカシイ、

なんて思ったりするのも無理はないよね^_^

 

まずは、9.19 さよなら原発集会のことから。

残暑厳しい東京で、明治公園に6万人も集まりました。

6万と一言で言えるけど、それはスゴイスゴイ人だったよ。

普段は人ごみ嫌い、集団行動苦手な私、こういうことは無縁なんだけどね。

この際、そんなこと言ってらんない。

そんな人たちも多かった気がします。

やむにやまれず集まった人たち。

デモになっても、みんな秩序正しくって、通行人の人と笑顔を交わしたりとか、

デモをしている人同士も、お互いの志を確かめ合うような和やかな雰囲気があった。

Love&Peaceを地で行くような、素晴らしいデモ、行ってよかった!

 

福島からも、たくさんの人が来ていました。

呼びかけ人代表の鎌田さんのお話、貴重でした。

来年3月に向けて、1000万人署名実現したいね!

どなたのお話もそれぞれすばらしいのだけど、福島・廃炉アクション代表武藤さんのお話、涙、涙、涙、

周りの人たちも、みんな泣いていた。

とてつもなく悲しく、同時に力強い。感動です。ぜひ聞いてください。

下のリンクは、上が集会ノーカット版、下は、武藤さんの講演のみ。

http://www.youtube.com/watch?v=k5Q5cRWpQaU&feature=share

http://www.youtube.com/watch?v=kzidM16QIzs

 

この、かつてない悲劇が、ひとりひとりにつきつけているもの。

それは、もうのんびりとした夢を見続けて生きるわけには行かないってこと。

それぞれが苦しみの中から、自分の道を見出していくしかない。

それぞれの表現、それぞれの形。

それは、それぞれ独自の、すばらしい輝きを放つことだろう。

 

あるいは、それでも眠り続けようと思うんだったらそうしたらいい。

 

でも、目覚めない限り、悪夢は終わらないだろう。

内なる喜びの泉、永遠の命、ほんとうの安心に目覚めない限りは。

自分の本性=仏性(コトバは何でもいいんだ)に目覚めない限りはネ。

 

24日、会えるのを楽しみにしています。

http://mangalajapan.com/archives/10

 

 

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雨季のOSHOリゾートツアー

2011年09月09日 | インド

 

雨季のインドに出かけたのは、初めてインドに行った18年前以来。

緑が輝くインドは、乾季にはない美しさで。

日本のゲリラ豪雨に輪をかけたような雨もあれば、

晴れているのに霧のように振る雨もあり。

まったく降らない日はなかったなぁ。

涼しい雨のリゾートは木々がびっくりするほど元気で、独特の情緒があったよ。

 

雨季にもかかわらず、リゾートはかなりにぎわっていた。

世界中から自分を見つめにたくさんの人たちがやってくるブッダフィールド。

OSHOがボディを離れて20年以上経つ今も、ありがたさは変わらない。

毎晩行われるイブニングミーティングは、こんなにいるんだと思うほど人が集まっていました。

たくさんの人たちがサイレンスで座る時間は、ほんとうに美しいよ。

 

私にとっての初のOSHOリゾートツアーは、青くなるようなこともありつつ、めでたく終了し、おととい日本に帰ってきたところです。

ほんとうに、たくさんの存在に助けられました。

毎日、必要なことが起こり、2週間足らずとは思えない内容の濃さ。

人が変わり、時が移り変わっても、変わらないものが確かにある。

目覚めたいと願う人たちが集う意識のフィールド。

 

今回は、長年オーガナイズをしてきたタロットの大家マンガラのお見舞いも兼ねた非公式ツアーで、私にとっては、ツアーリーダーの予行演習のようなものでした。

カオスのインドでツアーを率いる大変さも身にしみたよ〜

それについてはまた別の機会に追って書きたいと思います。

 

私にとっては、ツアー自体が瞑想の日々でした。

今まではプネーに行くと、独りで静かに瞑想だけをしていることが多かったのだけど、

今回は立場上、いろんな人と出会い、関わることになって、

そのたびに、自分の内面を見せられて。

これはけっこう新しかったな。

 

フルタイムでワークするのも面白いかもって初めて思ったし。

 

夜のプラザに出かけたことも初めての経験、

タバコくさいのは相変わらずいやだったけど、

カラオケナイトやらバラエティショー、

毎日違うテーマと雰囲気の中、世界中から来た人たちと時間とエネルギーを共有するのも

また感慨深いものがありました。

静と動、どちらも美しいよね〜

 

参加してくれた友人たち、

サポートしてくれていた有形無形の存在、

インドの大地に

こころからありがとう。

 

*写真はムンバイからプネーに向かうタクシーからの風景。いつもは土色の山々が、見渡す限りのエメラルド色に。小さすぎてあんまりはっきり見えないのが残念だけど、あちこちに滝が出来てて、すばらしくきれいでした。

(帰りのタクシーでのサーカスのような冒険談^^;は次回のお楽しみ)

 

 

 

 

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マジュヌ・ワーク報告「負げねど飯舘」

2011年07月05日 | 日々の気づき

5月〜6月のマジュヌ・ワークの報告です。

みなさんからいただいた参加費は、会場費を除いて、すべて義援金として送りました。

参加してくださったみんな、ありがとう〜!!!

飯舘村のプロジェクト、「負げねど飯舘」(まげねど〜、負けないぞ〜ってことだよね・・・)

に、以下のメッセージとお金を送りました。

 

負げねど飯舘メンバーのみなさまへ

こんにちは。

はじめまして。
ツイッターを介して、こちらのHPのことを知りました。
昨日(6月29日)アップされた佐藤健太さんのレポートは、涙なしでは読めませんでした。

友人と集めた義援金を今日お送りしました。
少しばかりですが、子供たちに汚染していない食べ物を買う等々の費用に当てていただければうれしく思います。

私は福島には会津に友人がいるなど、多少の縁はありましたが、村のことは今回の出来事で初めて知りました。
週刊現代6月11日号に載っていた、元日本原子力学会の田中俊一さんによる除染の記事等も読みました。

私も事故以来、原発についての勉強や、チェルノブイリ後の影響等、それまでそれほど興味のなかったことを、さまざまに学ばざるをえなくなりました。
チェルノブイリ周辺では、やはり住み慣れた美しい故郷を捨てられず、居住禁止区域に暮らすことを選んでいる老人たちも少なからずいるようです。
その気持ちは、本当に切実なものだと思います。
周りの自然も、自分のからだの一部だから。。。
飯舘村は何より、持続可能な環境を目指す方たちの美しい村だったんですものね。。。

しばらくはみなさん、本当に大変だと思います。
そのご苦労は想像を絶します。
今でも隙あらば原発推進へと戻ろうとする政治経済界には唖然とするばかりです。
私の方では、ただただみなさんが、戦いに明け暮れて疲れ果ててしまうことなく、折に触れて、自然の移ろいの中でほっとできる時間を持つことが出来たらいいなあ…と願うばかりです。

みなさんの希望がかなって、愛する村に帰り、豊かな自然との活気ある生活を取り戻すことができますように。
私たちも応援しています

 

いただいたお返事です:

私は、負げねど飯舘のお手伝いをしています
  佐藤彰彦と申します。
  (神奈川在住ですが、つい先日まで村に滞在し、
  この後も定期的に村に通う予定です。)
  
  丁重なメールと友人の皆さんと集めてくださった
  心のこもった支援金、本当にありがとうございます。
  
  メールの文面から、とても親身になってお気遣いいただいている
  様子がよく伝わってきました。
  
  健太さんは現在、県外の支援者から届けて頂いていいる
  新鮮なフルーツを、隣町に通っている幼稚園の子どもたちに
  配りながら、子どもたちとふれあう時間を大切にしています。
  この活動と併せて有効に使っていただくよう、健太さんには
  伝えておきますね。
  
  取り急ぎ、御礼まで。
  今後とも、温かいご声援のほど、
  よろしくお願いいたします。

「負げねど飯舘」サイト&ブログ

 http://space.geocities.jp/iitate0311/index.html

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福島からの詩

2011年05月07日 | 日々の気づき

5・7原発やめろデモ!!!!

http://57nonukes.tumblr.com/

賛同メッセージのなかに、こんな一文がありました。

とっても打たれたので転載します。

 

いまも毎日安達太良山の上にはほんとの空が出ています。
わたしは毎日それをながめています。
うちの庭からはとても美しい景色が見えるのです。
それがわたしのささやかな自慢。

あの日の前も、あとも
おんなじ空です。
おんなじ山です。
おんなじ川です。
ほんとにおんなじ?

ほんとのことをいえば、十日くらいは山を見る余裕なんてなかった。
子どもと一緒に遠くへ逃げてみたりもした。
でもいまはずっとここにいると決めました。
とりあえずのびのびと楽しく暮らそうと思っています。

福島にも遅い春がいつもどおりにやってきました。
いつもの春なら遠くからのお客さんでいっぱいの花見山
ひとりじめするのを楽しみに次の一週間を過ごします。

うらやましいでしょう。
うらやましくないでしょう。

いまとは違う美しい未来への道の敷石になれるなら
そんな人生もいいかもしれないねと子どもと話しました。

 
よしだけいこ(福島市在住)

 

故郷を愛する人たちにとっては、慣れ親しんだ山も川も、木も森も自分の一部なんだよね・・・

この方は、もうかなりお年をめしてらっしゃるように思います。

 

もうひとつ― 

武田邦彦さんのブログhttp://takedanet.com/より

 

 子らよ・・・

父は剣をとって敵と戦い、武運つたなく斬り殺される. そして君もまた父に殉じる.
爆弾が頭上に落ちるとき、母は君を胸に抱いて爆弾に背を向ける. そして母は焼け焦げ君もまた命を落とす.

何も出来なかったじゃないかと言わないでくれ.

それで良いのだ. 君は父と母の愛のもとで眠る.

・・・・・・・・・

郡山の父、伊達の父は校庭の表土を除いた。君は26ミリシーベルトから8ミリシーベルトになった。

君は父を尊敬するだろう.

母は君を抱いて走った。知らない土地、辛い仕打ち、乏しい財布、その中で必死に逃げ、そして今、郷里に帰った.

母の心は痛んでいる. もう少し逃げたかったが・・・それは出来なかった. だから君の母は自らを責めている. 

君は母を愛するだろう.

人は万能ではなく, 人には出来ないことがある. 君もそれは承知だ.

人ができること、それは爆弾が空から降ってこようと、目に見えぬ放射線が体を貫こうと、愛する子のために我が身を犠牲にすることだ.

・・・・・・・・・

私たちには希望がある. それは全力を尽くした後に、子らが私たちを見つめる感謝の心. 

私たちは、決してくじけることもなく、決して自らを責めることもない.

私たちは、爆弾に背を向ける母のように全力を尽くすことができ、それで子らは満足する. 

(平成23年5月3日 夕暮れの郡山にて)

 

覚悟を決めた人たちの透明な美しさ・・・

 もう何も言えんよね・・・

 

 


 

 

 

 


 

 


 

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福島原発、今できること

2011年04月22日 | 日々の気づき
瞑想のスペースは外の世界とは関係がなく、
いつものやわらかい光に満ち満ちていますが、
外の世界では、さまざまに揺さぶられています。
原発の現場の過酷な環境については以前から報道されていましたが、
いまだにあまり改善が見られていないようです。

最近では、現場に出向いて、健康診断をした医師の方が、
ストレスを抱えて働き続ける作業員の方々の実態をテレビで語っていました。

現場で働いてる方々は、今は第2原発の床に毛布を敷いて寝泊りし、
カップめんやレトルトのご飯、缶詰など1日2食でがんばっているようです。

多くの方が被災者であり、仕事がない時には避難所に戻るという生活。

それによって、避難所では、加害者として冷たい視線も浴びて、
二重三重のストレスを受けているとのこと。

現場の方々のがんばりに、私たちの生命がかかっているとも言えるのに、
どうしてこんな過酷な生活環境のままで彼らを放置しておけるのか、
私には理解できません。

これから何か月も続く長い道のりです。

今まで安全だ安全だといわれ続けて、そうでなかったのですから、
もう黙ってはいられません。

東電の上の人たちがこれ以上眠りこけていられないよう、
自覚を持ち、知恵を出し合ってもらって、この場を乗り切ってもらえるよう、
みなさんにも動いてもらえれば大変ありがたく思います。

一人でも多くの方が、直接東電に訴えることで、
事態が少しでも改善されることを願っています。

エコーボックスというこのメールでのメッセージは、
社員の方々に直接届くそうです。

https://www4.tepco.co.jp/info/custom/service/echob_s-j.html

東京電力に直接電話で訴えるという方法もあります。

0120-12-8500

平常時なら絶対こんなことをしない私ですが、
きのうはたまらず電話をかけ、現場の環境改善を訴えました。

電話の最中に、怒りやら悲しみやらもろもろの想いがいっせいにこみ上げてきて、
ことばに詰まってしまった瞬間もありました。

電話口で対応に出た方は、
「私には決定権がありませんので、
そういったご意見があったことは上に伝えておきます」の一点張りでしたが、

相手も人間だ!という観点を忘れず、
できるだけハートからハートへと伝えようと努力しました。

みなさん、こんな非常時ですから、共鳴しましたら、どうぞお力を貸しください。

事が起きてしまった以上、批判は後回しにして、
今はとにかくみんなで協力し合って、
なるべく最小限の被害に抑えるべく、動いていければと思っています。

これ以上の放射能汚染がなくなれば、
大変ながらも被災地の復興も順調に進むと思います。


また、福島原発には世界中からたくさんの祈りも届いているのも感じます。

東電への直接行動に出なくても、
愛と感謝の波動を送ることも、やはり大きな助けになるでしょう。

どうかあなたなりの方法で、原発を支えてください。

この事態がどう収束するかによって、
これからの私たちの進む道が大きく左右されると思うから。


もうすでに動いていらっしゃる方々、ほんとうにありがとうございます!!!

みんなで、よりよい世の中を創って行きましょうネ。

愛とビッグハグとともに!
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とにかく福島原発に安全に止まってもらうために

2011年04月04日 | 日々の気づき

この出来事があってから、原発について、とっても詳しくなったよ。

そして、知れば知るほど、この地震国日本に林立する原発たちが、信じられないくらい物騒な存在だということも分かってきた。

青森の六ヶ所村しかり、福井のもんじゅしかり。静岡の浜岡だって、他の原発だって、

いつどうなるか分からない。

 

さらに、2、3日前に耳に入ったニュース。

日本がこんなにタイヘンなさなか、IAEAの代表である天野さんは、アフリカのケニアに原発を売り込みに行ったんだってサ。

遠い日本で起こってることは、古い原発だからであって、新しい技術ならばまったく大丈夫・・・うんぬんかんぬん、

とか何とか言って、無知な国をだまくらかしたのだと思うと、

 

まーなんつー無明つーか、何でそんなことが出来るわけ!!!

もー、こりゃ人類はだめかもしれん!!!

と思ったりして、落ち込んでいたのでした。

 

まあ、人類が生き残れなくっても、この地球は大丈夫らしいってことも分かってきたので、

それはそれでいいのだけど(^_^)

 

それについては、また改めて書くよ。

 

しかしまあ、このままだと、人間こそが地球にとってのがん細胞って感じだね。

地球さんのからだのことなんてお構いなし、好き勝手やって、害ばっかり与えてんだからさ。

 

なんて愚痴はともかく、とりあえず、今できること、すべきことは、

なんとか福島原発に安全に止まってもらう手助けをすることだよね。

 

先月の28日に、最前線で働く現場の過酷な環境を知った。

高い放射能の中で、沈静化の取り組みを何ヶ月もこれからしていかなくてはならないのに。

朝はビスケット、夜は缶詰を食べ、簡易ベッドすらなく、毛布一枚を支給されて雑魚寝をしているという。

数日、数週間なら、それでもがんばれるかもしれないけれど、

数ヶ月、へたすれば1年以上かかるっていうこの深刻な状況、これではとても持つまい。

自分のことで考えてみれば分かるけど、十分な休憩や栄養を取れなければ、

ミスだって出かねない。

そうした大変な状況で働く人たちに、たくさんの祈りが届いているのを感じる。

世界中が応援してる。

とにかく出来ること何でもしようと思う。

 

首相官邸「ご意見募集」
https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken_ssl.html

東京電力「エコーボックス」 ここにメールを送ると、社員の人に届くそうだよ。
https://www4.tepco.co.jp/info/custom/service/echob_s-j.html

原発現場を応援するコミュもあるから、よかったぜひ参加してね。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=5528244&page=2&id=61176769

 

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チェルノブイリと、生命の神秘

2011年04月04日 | 日々の気づき

空気中の放射能の量が減ってきていますね。

うれしいね〜。

海へ流されてる汚水はまだ心配だけど。

 

マイミクさんのブログで、「アレクセイと泉のはなし」を知り、早速注文、

絵本が届きました。

チェルノブイリの原発事故の現場から180キロ離れたところにある、とある村のお話。

原発から半径300キロ圏内は、放射能汚染で居住禁止区域に指定されたんだけど、

事故のあとも村に住み続ける55人の老人と、若いアレクセイ。

自然に呼びかけ、そこに住む生きものたちと言葉を交わしながらの、素朴な村の暮らし。

彼らは政府から危険だから早く退避するようにって言われたとき、こう答えたんだって。

「この動物たち、木や草はどうするの。一緒に連れてってもいいならそうするよ」

 

原発や放射能のニュースをチェックする日課が始まって3週間が過ぎた。

みんなそうだと思うけど、私も以前は放射能って、漠然と怖いものだという観念しかなかった。

まさに放射能=死っていうイメージだったんだよね。

そんなとき、この物語のことを知って、本を読んでみたくなったんだ。

 

なんでもその村には大きな泉があって、

チェルノブイリの事故の後でも、その泉の水からは、放射能が検出されなかったんだって。

なぜかって。。。その泉は、100年もかかって地上に湧き出てるから。

それは村の人たちの命の泉。

 

この話は映画にもなって、それが撮影されたのが2002年っていうから、

16年後ってことになるね。

 

何より感銘を受けたのは、

彼らの暮らしている村の自然の大きさ、美しさ。

馬も犬も、森も鳥もカエルも、彼らと一緒に元気にちゃんと生きてるってこと。

自分で村に残ることを決めた彼らも、その後も昔ながらの生活を続け、

幸せそうに暮らしてるってこと。 

 

原発事故が起こる前も後も、変わらない生活。

森から薪を取り、畑を耕してジャガイモをつくり、

大自然と語り合い、収穫を祝い、あらゆる生命のいとなみに感謝する毎日を続けてる。

そんなことがありうるんだね〜!

 

役人たちが定期的に放射能を計りに来ると、

「計れば、減るのかい?」なんて答えてたんだって。

 

すごいことだよね〜

彼らは、代々受け継いだ大地と、そこで生きてるすべての生きものたちを、ほんとうに愛してるんだよ。。。

 

今回の出来事は、

ほんとうに深いところから私たちを揺さぶっているし、

山ほどの情報で、毎日の生活すらぐらぐら揺さぶられかねないけど、

なにか、この物語を読んで、ホッとしたんだよね、とっても。

 

生も死も受け入れて、平常心で生きるっていう、

とっても大切なことを教わった気がするよ。

  

 「アレクセイと泉のはなし」DVD広告

http://www.youtube.com/watch?v=QuIkhdTXBOY&NR=1

 

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原発で荒らされた土地を大麻で癒そう〜

2011年03月24日 | ヒーリング

この数日、テレビでは、出荷規制された野菜たちのニュース、首都圏の水道水の汚染のニュースでもちきり・・・

原発の事故が起こってから、いよいよ辛い局面に入ってきた。

捨てられる野菜たち、ほんとうに見るに忍びない。

農家の人たちの苦悩は計り知れない。

大地の汚染は、ほんとうに辛い。

代償として、私たちは安心を奪われる。

たくさんの生き物にとって、そうした土地は、安住の地ではなくなる。

今はなんとしても、原発の早期収束を祈らなくてはね!!!

 

今朝、大麻(別名ヘンプ、産業用のものであってて、ドラッグではありませんので、念のため)が、大地の浄化力にとても優れているということを、今日、マイミクさんのつぶやきで知った。

これはPhytotech(原語ではファイトテック、でも日本ではフィトテックって言ってる)っていう研究分野で、ウラン、セシウム、ストロンチウムといった放射性物質や、鉛、除草剤といった汚染物質を除去してくれる植物として大麻はもっとも優れたもののひとつと言っているらしい。

植物tというのは、なんと寛大なのだろう。

植物の力で大地を癒せるなんて、なんて素晴らしいのだろう。

菜の花とか、ひまわりという植物も有効だっていう話もあるし。

今まで産業用大麻に対し、とってもシビアだった政府の対応も、この事故以後、変わっていくことを願うよ。

 

起こってしまったことを悔やんでも仕方がない。 

今は何はさておき、祈りの力で、原発を安全に止めよう!!!

そして、それから植物さんの力を借りて、大地を癒していこうネ!!!

ヘンプの有効性 http://www.hemp.net/news/9901/06/hemp_eats_chernobyl_waste.html (英語) 

菜の花プロジェクトhttp://www.chernobyl-chubu-jp.org/pg156.html

 

 

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今日は春分の日、ほんとうの春がやってくるよ〜

2011年03月21日 | 瞑想、目覚め

3月11日からの出来事は、

私たちを魂の奥底から揺さぶり、

眠りから引き出してくれた。

そして、私たちは、自分自身のほんとうの姿に目覚めようとしている。

 

なんてすばらしいの!!!

新しい地球、新しい意識の幕開けが訪れてる。

目覚めのために犠牲となってくれた勇敢な魂たちのためにも、

すべての瞬間をお祝いしようね〜!

 

ホ・オポノポノのメッセージ、とっても面白いよ。

http://hooponopono-asia.org/news/sith_info/2011/03/000299.html

科学者の人たちの科学的根拠に基づいた意見はもちろん意味があるし、

それはそれとして、

すべては意識だからネ。

みんなの愛と祈りは、あらゆる物質の動きを変えずにはおかない。

 

すべての理解を超える平和、

私たちのほんとうの姿に目覚めること。

 

お祝いだーぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
 

 

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